マジP!

間島淳司の日常をプロデュース!!

スメル・マジック

こないだ宝田と飲んでたときに彼のすごすぎる特殊技能に気づいたんですよ。


2人で飲んでると他愛もない話をよくするんですが、その日もそんな感じでキンキョーホーコクから「もうすぐ稽古始まるねー」「(セリフを)覚えられる気がしない」など鈴木区の話、それから声優としての技術の話だったりエロい話だったりw
本当にとりとめもなくテーマ性もない話を思いつくまましてまして。
ある時飲み物を運んできた店員のお姉さんが通り過ぎた後で「ひとつ言えるのはあのお姉さんはいい匂いがするってことですね」と。

あらー、女の子の匂い嗅いでやーらしーい♪なんて話をしようと思ったんですが、先ほど通り過ぎた時宝田は別に女性に寄ったわけでもなんでもなく。
スンスン、と強く嗅ぎに行くような動作もないまま、本当にただ座ってただけなのにそう言ってきたのです。
なーんかおかしいな~と思いつつもいい匂いがするって言われると気になるじゃないですか?w
お姉さんが近くを通り過ぎた時に気にしてみると、たしかにほのかにいい香りが。
でも別に通り過ぎただけで気になる、ってほどの香りではなく、ほのかにいい香りがするって程度のもの。
その後も「奥に柑橘系の匂い感じるんだよな…」とか言うので「お前よくわかるね」と聞くと「僕、鼻いいんですよね」と。
えーそんな話聞いたことない。
てか飲み屋なんてタバコやらなんやらすげーいっぱい匂いしてるわけでしょ?平気で来るからてっきり違うかと…
で詳しく聞いてみると仰天のエピソードめっちゃ出てくるんでやんのw

そのときテーブルの上には海ぶどうつけて食べる用のポン酢と、ソース味がついた、来てだいぶ時間経って冷めてるポテトフライが。
そのタイミングでどの程度鼻がいいのか聞いたら「このポン酢と、ソースの匂い、今感じてます」。
別に宝田はテーブルに寄ってるわけでもなく、さっきから変わらず背もたれに持たれたなんなら遠ざかってる状態。
この状態で感じるとか…例えばポテトフライが温かければまだソースの匂いくらいは感じると思うんですけどポン酢て…てかポン酢ってそんな強い匂い発してないよね?
とそこに明太子が混じった焼き物が到着。
熱した明太子ってすげー匂いするじゃないですか?来た瞬間僕も「明太子ー!うまそう!」ってなりましたし、コレはさすがに誰でもわかるでしょ?
そんときに宝田が「今明太子の匂いしてるでしょ?でもポン酢とソースの匂いも感じますよ」と。

…え?ウソでしょw

人間強い匂いが来たらそれにもってかれて微かな匂いなんてわかんなくなるのが普通でしょ?
ところが宝田はその匂いが嗅ぎ分けられるんですって。
…なにそのスキルw
さらに宝田は「匂いで後ろに人がいるかわかりますよ」と言い出すのです。
なんでも匂いは対流して、少し遅れてやってくるんだそうで。
試してやろうとさっきのいい匂いの店員さんが、その話をしてる時にちょうど後ろを通りかかったので「えーそれすごくない?どのくらいわかんの?ちょっと教えてよ」とこっちに意識を向けさせようと話しかけてたんですが、通り過ぎた後に振り向いたんですよ。
「あ、やっぱ今通りましたよね」つって。
これは…本物だわw

その後も匂い話は止まらず、「人間はみんな匂いがある」「だから匂いで誰かわかる」とか言うんですよ…人によって匂いが違うのはわかるけど、そんなの近づいてクンカクンカしないとわかんないでしょ?
彼はそれをしなくてもわかるんですって。
がそんな宝田くんから一つ興味深い話をされました。
人の匂いってだいたいおうちの匂いと同じなんで、その人の匂いを強くしたような感じの匂いが家に行くとするんですって。
だけど「間島さんちはあんまり匂いしないんですよね」って。
だから居心地良かったらしいんですけど、そういうのが起こるのって近い匂いの人だとあるじゃないですか。
でも僕の匂い自体はあるんですって、宝田からすると。

だいーぶ前に鈴木区で焼き肉食べに行った時、僕の上着をたまたま羽織った女子たちが「いい匂いがするー!」つって上着を回して襟元とかの匂い嗅ぎまくられた事件がありまして、どうやら自分がいい匂いがするのは知ってたんですが、てことは理論的にはその匂いを強くした匂いが家からするはずでしょ?
でもそうじゃないらしいのです…さらにその日は30分ほどかけて歩いて飲みに行ったので、到着時僕は汗だく。
滴るほど汗をかき、それを吸い込んだ服の匂いを嗅いでもいい匂いなんですって。
前々から思ってたんですけど…僕ホント汗かくんですけど全然汗臭くならないんですよね。
歩いて汗だくになって帰宅後服脱ぎ捨てて、でも洗濯物溜まるまでは洗濯しないんで一旦乾くわけですよ。
その服の匂い嗅いでも全然臭くないの。
でも以前、「さすがに汗かきまくるからハンドタオルを持とう」と、歩くつもりで出かける時はタオルを持って出かけるようにしてた時期があったんです。
滴る汗をふきふき、でもずっと持ってると邪魔だから鬱陶しくなってきたらカバンから出して拭く、みたいなことしてたんですが、帰宅後カバンからそのタオル取り出したら汗臭かったんです。
てことは、汗自体は臭いわけですよ。
臭いのもなんかヤだなーと思ったんであんまりタオル使わなくなったんですけど、考えてみりゃ不思議な話ですよねコレ。
服が吸い込むと良くて、タオルだとダメ。

そんな疑問を匂いのスペシャリスト・宝田氏に聞いて見ると「匂いは雑菌の繁殖が原因」だそう。
おそらくタオルが洗った時生乾きかなんかで、それが汗を吸った時に反応したんじゃないか、と。
おーなるほど納得、と一瞬思ったんですけど、そうなるとちょっと待て、ってことになるんですよ…じゃあなんで服に吸い込まれた汗は臭わないんだと。
同じ布なのに、汗吸って乾いても雑菌繁殖してない、ってことになるわけでしょ?
そんなわけはない…きっと匂いは出るはずなんだ。これは…いったい……???

匂いに詳しい宝田くんももちろん正確な解答は出せず「だから前々からおかしいとは思ってたんスよ」と謎は謎のまま。
結果その日の答えは「僕の体にはファブリーズ的な何か秘密がある」ということにw


…これってトリビアになりませんか?w
匂いに詳しい専門家の方、何部咲きか調査をお願いしますw

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考察 |

ビッグな読み

大好き 大相撲 大問題 大道具。

それぞれなんて読みました?

だいすき おおずもう だいもんだい おおどうぐ ですよね。


コレ前からずーっと気になってたんですけど、同じ漢字の『大』なのに、「だい」だったり「おお」だったりと読みが変わるじゃないですか?
なんのルールで決まるの?って思いません?

耳馴染みのあるものや、大道具みたいに「大」も含めた慣用句みたいになってるものは迷わず読めますけど、あんま使わない言葉だったりしたら迷いますよねーこれ。
そんなことを初めて思ったのは、東京は新宿西口にある『大ガード』。
さあどっちで読みますー?「おおガード」?「だいガード」?

僕は上京して実際に行くまで、だいガードだと思ってました。
だって…その昔アニメで『地球防衛企業 ダイ・ガード』ってのがあったんだもんw
ダイ・ガードと大ガードは別物なのはわかってるけど、あそこから取ったと思うじゃない!w
でも正解は『おおガード』なんだそうです。
実際大ガードのとこにある信号に、アルファベットで『ogado』って書いてあるんだから間違いありません、あれは、「おおガード」。


地名や役職の場合は正解がありますけど、何かの規模がでっかくなったよ!みたいな場合で使われる『大』の読みにルールはあるのでしょうか。
「大騒動」はおおそうどうとも読みそうだけどだいそうどうが正解っぽい気がします。
でも同じような意味の「大騒ぎ」はおおさわぎであって、だいさわぎではないです。
なんかしらルールがありそうですよね……ということで調べてみました。

文化庁が決めたルールでは以下のようになってるそう。

『音読みの語(漢語)の上に、『大』がついた場合は、おおかた『ダイ』と読む。』

…「おおかた」ってのが引っかかりますが、これでさっきの『大騒動』『大騒ぎ』は解決されました。
騒動の場合『騒』の字は音読みなので「だい」になり、騒ぐ、という訓読みの場合は「おお」になるわけです。

…と思いきや。

実は『大騒動』の読みは「おおそうどう」が正解なのですw
例に挙げたものがまさかの「おおかた」に含まれない方だとは!!w
日本語なんなん!w
まぁ大多数のものは上のルールが適応されるそうなので良いんですが、イマイチ判然としないですよね~。


と別のところで調べてみると、も少しスッキリする答えが見つかりました。

『日本古来の和語につく場合は「おお」になり、中国など海外から入ってきた外来語の場合は「だい」になる』。 

…なんとなく「なるほど」って思いません?
今まで考えてませんでしたが大ショックとか大セールとか、カタカナにつく場合はほとんど「だい」って読みますもんね。
同じルールが漢字の場合にも適用されて、中国から来た言葉…まぁ音読みのものですね、これは「だい」になる、ってことのようです。
…まぁそれこそ「大ガード」みたいにカタカナでも適用外のものもあるんですけどw

ちなみに大ガードの場合は由来に理由があるそうで、昔あのへんには大きな桟橋、大さん橋があったそうで。
その大さん橋が大ガードに取って代わった結果、最後の爪痕遺すかのごとく読みだけが残って、カタカナなのに「おおガード」という読みになったんだそう。


こういうのも調べてみると知らない発見があるもんですね。
あー、大おっぱいを大揉みして大満足したーいw

考察 |

嗚呼、諸行無常。

みんな大好き灌仏会。

…覚えてます?お釈迦様の誕生を祝う行事の名前ですよ〜?
そこからふとした思いつきで調べ始めたお釈迦様の人生。
昨日はその半生・菩提樹の下で悟りを開いた35歳の頃までをご紹介しました。
お釈迦様が没されたのは80歳の時のことらしいのであと半分ちょっと、時間の許す限りお話していこうと思います〜。

ちなみに言っておきますが、実家は仏教でしょうけど僕は無神論者ですw


遂に悟りを開いたシッダールタこと、ブッダ。
彼はしばらくその余韻に浸るかの如く木の下で瞑想を続けます。
そこで「この悟り、まだ悟りを開いてない人に教えてあげようか…」と悩み考えますが、結局は教えない道を選びますw
理由も明確で「言葉で聞いてもみんな悟れないだろうから、言うだけ無駄だからやめよう」というものw
ところがそこに梵天様が現れて「頼む!頼むって!な!?説こうぜ教え!!」「イヤですだって無駄だもん」というやりとりを3度も繰り返し、「そんなに言うなら…」と、自らの悟りの確信を得るために、とかつてともに修行をした5人の仲間に教えを説くことを決意します。
…たしかにその5人なら、一般の人よりは話して聞かせたら悟り開ける可能性ありそうですもんねw

街を移動し彼らに会うと、ブッダは5人を前にお話を始めます。
ざっくり言うと「この世の真理は苦しみだけど、それには原因があって克服できるよ〜?」ということと「これが”正しい修行の仕方”とその考え方だ!」みたいなこと。
苦行がイヤで逃げ出したと思ってる5人は最初はバカにしていたものの、次第にブッダの話に感銘を受け、なんやかんや皆して悟りを開きました。
ちなみにこの時の説法を、5人以外にもシカが聞いていたとされており、奈良でシカが大事にされてるのはそういう理由からなんだよ、ということも書いてありました。
どうりで…シカめ、盗み聞きして徳を得るなんてずるいぞw

その後悟りを開いた6人は教団を結成、教えを説いてまわり、その教えに他の宗教者たちも賛同、自らの信者もまるごと信者に、ということを繰り返していくうちにすぐに教団は1000人を超える規模に。
教えは国を飛び越え近隣諸国にまで広まり、お金の援助を申し出る信者なんかも出てきて、わずか5年ほどで「ちゃんと戒律とか作らないとマズイよね」ってくらい大きな集団になっていきます。


がここからの人生は、亡くなる直前・79歳の頃までの記述がほとんどないそうで。
39年ほど歴史を進めてみたいと思います。

ブッダは大勢の弟子を連れ、最後の教えの旅に出ます。
街を転々としながら弟子たちによる質問に答え、戒めを守ることの大切さ、亡くなった人々の運命、悟りに至るための4種の観念、仏教を志すものが修めるべき基礎的修行項目といったことを説いていきます。
この後大きな病にかかりますが、この病は無事完治。
最後の旅へと赴きます。
たどり着いた街でも同じように教えを説きながら過ごしていた時、突如激しい腹痛に襲われ倒れ、沙羅双樹という樹の元で横になると、そのままこの世を去りました。
原因は…まさかの食中毒。

その後ブッダは火葬され送り出されますが、遺された弟子たちが「ブッダの教えが誤って独り歩きしないように」と、500人の弟子たちが集まり記憶を元に編纂され、それが今の経典につながっていく…と、こういう話だそうです。


いかがでしょう、ブッダの人生…思っていたより神々しくなく、神であるというよりは人の延長、といった印象を受けるのは僕だけでしょうか。
母の脇から生まれ生まれてすぐに立って歩いて喋った赤子が、最期食中毒で亡くなるというのも…やはり人である感じがしてとても身近な感じがします。

そして釈迦がたどり着いた悟りの境地、それがなんであるかということを簡単にいうならば「執着を捨てろ」ということのようです。
この世の物事はすべて移ろいゆくのに、人間という生き物は様々なものに執着するから、変わらないことを願い、変わらないと思い込む。
執着を捨て、すべてをあるがまま受け止めることでしか、苦しみから解き放たれることは出来ない。
平安とは”苦しみから解き放たれること”でしか手に入れられないものであるからこそ、惑わされることなく現実を直視し、執着を断つことこそが悟りへの道である、と。
『諸行無常』ってのがまさにそのことを表しているそうですが、この『無常』を受け入れることで、人は真の意味で自由になり、輪廻の外に出ることさえも可能になる…とかなんとか、そんな考えが仏教の教えのようです。

また『色即是空、空即是色』という言葉に出てくる『空』という言葉。
コレも「からっぽ」という意味ではなく、いうなれば”すべて”という意味合いがあるようです。
人はすべてのものとつながっていて、それは身近な親、友達といった人だけでなく、生きとし生けるもの、口にする食べ物、植物や日光や水、果ては宇宙のすべてのものとつながり、すべての物質と溶け合っている、という考え方を、仏教の世界では『空』という一文字で表現するのです。
この世の全ては”空”であり、すなわちこの世にあるものはすべてあなたと同じものなんだよ、という考え方。
地球どころか、宇宙まるごと一つの生命体である、とでもいうべき考えが、ブッダがたどり着いた真実の一つの姿なのです。


さあ、花まつりから始まった仏教の世界の旅。
いくつかの文献を辿りながら僕なりにわかりやすく書き直しているので、多少ムチャクチャ書いてあるところもあるかもしれませんが、大筋では間違っていないはずですw
どんな事柄でもですが、そのすべてを知るということは非常に難しいもの。
でもその一端を、わかりやすい形でならスッと入ってきて興味を持てたりするんですよね。
冒頭で無神論者と書きましたが、今回調べて仏教というものの根底にある教えは間違っていない素晴らしいものだと体感することが出来ました。
花まつりには間に合いませんでしたが、何かの折にお寺さんに行ってありがたい話を聞く、なんて選択肢も悪くないな、と思えたことが、今回得た最大のプレゼントかもしれません。


さあみんな、レッツ・仏教w(ふざけずにはいられない悟りから最も遠いこの位置よw)
考察 |

大きなあの…ほら、木の下で!

日付は変わってしまいましたが4月8日がタイヘンな日だということに気が付きました。
知ってました皆さん何の日か?

…テレビで『Dr.スランプアラレちゃん』が放送された日?
そうだけど違います。
……週刊文春が創刊された日?
そうだけど違います。文春砲でぶち抜くぞw

もっとすっごいタイヘンな日ですよ!ほら!あのどえらい人の!誕生日!!

…千昌夫さん?いや誕生日なんだけど違うから!
…フェリペ4世?スペインの王様の?たしかに偉いけど違う!もっともーっと偉い人!
…たかみな?元AKBの?いや総監督だからってスペイン王より偉いわけないでしょw

そうじゃなくて今日はあの人の生まれた日ですよ!お祭りにもなってるっつーのに!
そう花まつりの。…はい正解お釈迦様!!

4月8日はお釈迦様が生まれた日であり、それをお祝いする灌仏会(かんぶつえ)なのです。
ほらめっちゃ偉いでしょ?だって仏教作った人よ?
僕が通っていた幼稚園は仏教系の幼稚園だったので4月に入って早々灌仏会…花まつりのお祝いが年間行事として組み込まれていました。
小さい頃の記憶なんですけどなんとなーく覚えてるんですよね…花で飾り付けられた小さなお堂に受け皿みたいなのがあって、その真中に小さいお釈迦様の像があって。
それに甘茶かけてそれ飲んで…あと白い象も飾られてたような…そんな、35年くらい前の記憶。
好きじゃなかったな〜、甘茶w

調べてみると花まつりはお釈迦様の誕生を祝う日なので、生まれた瞬間のことを表現している模様。
小さい像はサイズ的にも小さいですが生まれた瞬間・産み落とされてすぐに7歩歩き、天と地を指差して「天上天下唯我独尊」と唱えた時の様子を表した像。
甘茶をかけるのは生まれたときに誕生をお祝いした竜が、産湯に浸からせるために甘露の雨を降らせた、という伝承から。
白い象に関しては、釈迦のお母さんが身ごもったときに「白い象が入ってくる夢を見た」と言ったことから来ているそう。
『花まつり』の由来にもなっているであろうお堂を花で飾り付けるのは、お釈迦様が生まれたルンピニの花園に見立てているからなんですって。

また一つ…賢くなってしまいましたねw

が花まつりってイマイチ浸透してない感が強いですよね〜、僕は幼稚園のときに体験してるから知ってたけど、キリストの生誕祭であるクリスマスなんかに比べて全然イベント化されてないし。
一説にはクリスマスはケーキ屋の、バレンタインはチョコレート業界の陰謀でこんな感じになったなんて話を聞きますが、たしかにそれで行くと花まつりに出てくる食材…甘茶だけですしね…甘茶業界ってそんな広くなさそうですし流行らなさそうですもんねぇw
とここで取り上げたところで僕一人の力では花まつりが流行することもないでしょうから、代わりにみんなあんまり知らないであろうお釈迦様のことについて調べてみました。
ただ仏教用語とか地名とか、難しくて読む気が起こらない文字列が頻発するので、極力使わずわかりやすく伝えるのを心がけてみたいと思います。


お釈迦様ことガウタマ・シッダールタは、バラモン…良いとこの息子として生まれましたw
先述の通り白い象が入ってきた夢を見たお母さんが実家に帰省してお産をしようと向かう道中産気づき、やむなく産むことになったのがさっきのルンピニという場所。
生まれた時の「天上天下唯我独尊」も大概なエピソードですが、もう一つ『お母さんの脇から生まれた』というトンデモエピソードも持っています。
生まれた瞬間から常人の理解を超えてきます…さすが将来の聖人w
ただ脇から産んだリスクはデカかったのか、お母さんはお産の後熱にうなされ7日後に死んでしまいます。
そこからはお母さんの妹・つまり叔母さんがお母さん代わりとなってシッダールタを育てました。
そのまますくすくと育ち、なんと16歳のときにはもう奥さんをもらい、長男ラーフラ君も生まれます。

そんなシッダールタパパですが、パパになった翌年・17歳のときに一つの転機が訪れます。
ある日ちょっと郊外にお出かけしようと4つの門をくぐることになったとき、一つ目の門で老人を、2つ目の門で病人を、3つ目の門では死者を見かけます。
僕だったら華麗にスルーするところ(死体はムリかもしんないですがw)ですが、シッダールタははたと気が付きます。
3つの門で見た老人、病人、死者は人生における苦しみであり、それは我が身にも降りかかるものだと。どうやったら克服することが出来るんだろう…と。
…病人や死者はまだしも、ジジイ見て「やだ苦しみ!」ってのも失礼な話な気もしますがw、気づいてしまったものは仕方がない。
そんなことを考えながら4つ目の門を通ったとき、今度は修行者に会います。
ここで彼は出家の意志を持つことになるのです。

そして歳月は流れ、シッダールタ29歳の頃、彼は今の裕福な暮らしを捨て出家をします。
…意志持ってから12年はだいぶ長すぎな気もしますが、ようやっと彼はブッダへの道に入ることになるのです。
出家後、彼は3人の仙人のもとを訪れ師と仰ぎますが、どれも途中で「…これやってても開けねぇな、悟り」と気付き、師の元を去ります。
12年の間考え抜いた結果でしょうかね、なんと考えのしっかりした若者でしょうw
その後家出した実家から送られて来た5人の修行者とともに、「他人なんかもうあてにしねぇ!」とばかりに苦しい修行に打ち込みます。
そして6年の歳月が経った時、彼はまたしても気づいてしまうのです。
「断食したり肉体をいじめ抜く苦行を強いても、その先に悟りは待っていない」…と。
気づいた彼は迅速で、まだ修行してる仲間をほっといて自分は修行をやめてしまいます。
彼的には悟りにたどり着かない無意味な行為だと感じたから止めただけなのですが、周りの仲間は「あいつ修行がキツくてドロップアウトしやがったププー!」とバカにされ、仲間たちはもといた彼の父の元へと帰り、一人ほっぽり出されてしまいます。
断食や厳しい修行のダメージを、たまたま立ち寄った村の娘にもらったミルク粥で回復させると、いよいよシッダールタは悟りへの道へと進みます。
同じ村にあった大きな菩提樹の下で「悟り開かなかったらこっから立たない!」と強く心に決め、そこで瞑想を開始するのです。
瞑想の最中、「ここで止めないとコイツ悟り開きそうだな」と感じたのか、悪魔が彼の心を遮ろうとすげー邪魔をしてきますがシッダールタはコレを無視!w
なんなら調伏までして悪魔を退け、その49日後についに悟りの境地へと至るのです…!
仏陀、という言葉は「覚醒者」という意味があるそうなので、シッダールタはこの地で晴れてブッダとなった、ということですね。


と前半はここまで!!w
まだブッダとして覚醒した半生ですが、長くなってきたので一旦このへんで。
一応最後まで続けないと気持ちが悪いので明日はこの続きからブッダが亡くなるところまでを語っていきたいと思います。

どんなことでもそうですけど…調べるとホントおもしろいですよねw

考察 |

話し方に気をつけろ

世の中は表裏一体。
表側の面があるなら当然裏の面があります。


「光在るところ、必ず影ができる。」
悪役セリフのテンプレみたいなヤツですが、実に真理を体現しているセリフだと思います。
どんなものにも表と裏があり、その表裏が一体となってひとつである。
数々の作品で例えるとわかりやすいですが、だいたいの物語で「深ぇ…」と感じるものってこの”表裏”を使ってることが多いと思います。

例えば僕が出てた『暗殺教室』。
殺さねばならない敵として出会った殺せんせー。
授業を通じて心を通わせる生徒たち…クラスは「殺す派」と「殺さない派」に別れ、学校の裏山でクラスを2つに分けたバトルを繰り広げます。

例えば僕の大好きな『機動武闘伝Gガンダム』。
主人公・ドモンが師として慕っていた東方不敗が、ある日突然敵の幹部の一人だということが発覚。
裏切りを信じたくないドモン…でも現実に師匠は敵としてドモンに襲いかかる。
いつしかドモンも超えねばならない”敵”として師と対峙し、撃破。
戦いの後師匠は弟子の胸で、地球を救うために選んだ選択肢が主人公とは逆だったことを語り、息絶えていきます。

『暗殺教室』ではクラスの生徒は皆せんせーのこと、自分たちとせんせーの関係を守るために意見が対立。
同じプロセスを経て考えたのに別の答えにたどり着いた結果の戦いです。
『Gガンダム』でも、師匠とドモンは同じく地球のために戦う部分がありつつも、その辿り着いた答えが正反対であり、結果師弟は戦いの中に身を投じていくことになるわけです。
この場合はドモンや視聴者には『師匠の真意』は伝わっておらず、「主人公の邪魔をするワルモノ」として師匠が描かれているため、ラストバトルで師匠が息絶える際にドモンも視聴者も涙を流すのです…泣いたー。


このように、表裏が存在すると”表から見ているもの”には”裏側”が見えず、それを巧みに使った物語や、表と裏両方を見せることで視聴者に選択や動揺、感動を与える、という手法が使えるわけです。
子供向け作品なんかでは敵は「誰が見ても悪いヤツ」として描かれるケースが多く、やっつけられて爽快、というかたちを取ることで視聴者である子どもたちに悪は良くないものなんだ、正義は勝つんだということを教える意味がありますよね。
それまでアニメはそういう「子どもたちに向けて作られたわかりやすいもの」だったという既成概念を打ち壊し、連邦軍とジオン、どちらにも正義があり、見る側によって正義は違うんだ、ということを描いた『機動戦士ガンダム』という作品は非常に素晴らしい作品である、ということなのです。


作品に例えるとわかりやすいので今までお話してきましたが、考えてみればコインにだって表裏があるわけで、物質だろうと概念だろうとなんにだって表裏があるということがわかります。
物語にまでいかない”言葉”にだって、表裏があります…それによって非常にイメージが変わるのです。

例えば『お刺身』。
魚に限らずですが食品は”鮮度”が大切。
水揚げされた直後のお魚を捌いて食べてる映像とか見てるとすっごい美味しそうじゃないですか?
でも例えば、水揚げされたて捌きたての魚で作った刺し身のことをこう表現したらどうでしょうか。

「さっきまで泳いでた、死んだ魚の生肉」

…うわー、不味そう、こんなん絶対食べたくないw
でも意味としては同じなのでこれもまた”表裏”。言い方の表裏で受け取り方がこんなに変わります。

例えば『美人』。
初対面の人に「すっごい綺麗」とか「美人だねー」とか言われるのって照れくさいし、言う側もきっと照れくさいはず。
僕だったら思っても言えませんw
その言い換えが「好みのタイプ」とか「顔が好み」とかになるわけですが、これが行き過ぎると褒められてるはずなのになんかムカつく印象になります。

「親がその顔に生んでくれてよかったねー」

これだと「顔が綺麗じゃなかったらお前は最悪」と言われているかのような、言ってもいない”裏”がプンプン伝わってきて言われた側は素直に喜べないどころか下手したらそれこそ激おこプンプンですw


このように同じ事象でも、”表”と”裏”を間違えるとタイヘンなことになる、ということです。
いつでも正しい方…オモテが選べると良いですよね。


ただし。

”おもてなし”される際には、表無し…”ウラがある”ということも忘れずにw

という最後をラーメンズのネタで締めるというまさかの暴挙w
好きなんですよねーこのセリフ。
まぁおもてなしって「もてなし」だから表とか裏とか関係ないのはわかってるんですけどねw

考察 |
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