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マジP!

間島淳司の日常をプロデュース!!

言葉のフシギ。

でらえらいでかんわ。
ケッタを蹴った、壊けった。


…突然気でも触れたのかと思われました?w
別にそんなことはなく上の言葉は名古屋弁です。
意味は「すごく疲れた」と「自転車を蹴ったら壊れました」というものです。

方言って非常におもしろいなーと思うんですよね、他所の地方の方言ってやたら魅力的に聞こえたりしません?
かわいい女の子が喋ってたら広島弁とかでもなんか可愛く感じそうだし。てかそんな企画を月曜からよふかしとかでやってましたよね。
思い出すなぁ…甲州弁。「おまん、こっちんこうし」w
番組内ではかわいくないとかイジられてたけど普通に可愛いと思うんですよね…あれ、僕だけ?w
かと思えばお年を召した方々が喋ってるのをテレビとかで見ると別に魅力を感じることはなく、なんか納得する部分があったり田舎感を感じたりして。
同じ言葉なのに与える印象って変わるんだなーと。
…そうなると単純に若いかわいい女の子ならなにしてもかわいい、みたいな話になりそうですがそんなことではなくw


その中でも特におもしろいなーと思ったのが実は江戸弁でして。

江戸弁って日常会話で喋ってる人見たことないじゃないですか?
かつて江戸だった東京ではいわゆる標準語をしゃべる人が多いわけだし。
下町とかに行けばそれこそ落としを召した方の中には江戸弁で喋られる方も残ってるかもしれないけど…まぁ知人にはいませんわなw
でもどういうわけかみんな「江戸弁」って言われれば「てやんでぃべらぼうめぇ」とか「し」と「ひ」が入れ替わっちゃうとか、なんとなく特徴を知っている、という。
調べてみると他にも『連母音変化』という特徴もあるそうで、アイとかアエとかオイとかみたいに母音がつながってると音が一緒になっちゃうんですって。
ちなみに上のアイ・アエ・オイは全部「エー」となり、ウイは「イー」になるそうで。
これだけ聞くとなんのこっちゃさっぱりわかりませんが、「デーどころにあるケーもの袋にでーこんがヘーってる」と書くと「あー、江戸弁だわー」ってなりません?w
しかも方言なのに意味もバッチリわかるし。
これがまた自分が東京出身で喋ってる人が身近にいた過去があるとか、自身がかつてしゃべってた言葉だからわかる、とかいうんならわかるんですけど、なんでか名古屋出身の僕でもわかるという…超絶不思議な言葉なんですよねー、江戸弁って。

その理由を考えてみたんですが、おそらくテレビの影響なんですよね。
時代劇とか見ると町人が江戸弁で喋ってるからわかるんだと思うんですよね。
で、ここで面白いのが若い世代の中には時代劇見たことない人とかもいると思うんですけどそれでもわかるという…いったいなんなの江戸弁w


触れる機会は少ないのにみんなが理解していて且つ特徴的な方言・江戸弁。

日常的に使う世代の方がこれからどんどん減っていく言葉でしょうが、なんとなく江戸弁という知識は残っていくと思います、それこそ時代劇の中とかで。
なんとなく、日常系のアニメとかで関西弁みたいなノリで江戸弁しゃべるキャラとかがいたらおもしろそうだなーと思いましたw
ヒロインの江戸弁…萌えるのかは別として絶対おもしろそうじゃないですか?w
いつかそんな作品が現れたらいいのにw

…でも江戸弁って男言葉なのかw

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考察 |

漢とA。

人間だけに与えられしもの…いろいろあると思います。

生きる、繁殖するという生命体としての目的”以外”のものはなんでも人間だけが獲得した能力だと考えるわけですが、パッと思いつくだけでも思考、言語、様々な形の欲、宗教や概念などなど…単純に「生きる」という目的のみを考えた場合必要のない概念がたくさんありますよね。

今回はこの中のから『文字』というものについて考えてみようと思います。


今こうやって皆さんが読んでいるブログ。
コレももちろん文字が存在するおかげで、こうして皆さんに僕が考えていることをお伝えできているわけです。
まぁそれ言い出すと昔PCがなかった頃なんて、とかネットが無かった頃は、とかいろいろ遡っていくわけですが…人になにかを伝える手段ってここ数十年でもかなりの進化を遂げてますよねー。
子供の頃は直接目の前で書くとか手紙出すとかしないと文字情報でやりとりすることなんて出来なかったですもんねぇ。

そんな情報伝達で考えても『昔は大変だった』感がありますが、それをもっと遡って考えてみたいと思います。
例えば。まだ文字というものが存在しなかった頃…。
おそらくまだ文字にはなっていないものの言語を介したやり取りは存在したはず。
”言葉”というものを用いて感情や思いを伝えあっていた頃。
「向こうにりんごがなってたよ」と伝える時に「りんご」という言葉を知らない人がいたとして、どう伝えようか…現物持ってくるのが一番早いでしょうけど、まぁそうなると地面に木の枝とか使って絵に描きますよね。
でも毎回毎回「りんごがあっちになってたよ」「りんごって?」「だからこういうかたちの…甘くて美味しいやつ!」「食べれるの…?」「甘くて美味しいっつってんだからさ!そりゃ食べれるっしょ!!」みたいなことで、新しい人に伝えるたんびに絵を描くのもしんどいし、なんかやり取りでイライラしそうじゃないですかw
こういった手間を省く発明が文字だったんだろうなー、と。
最初はひと目見てわかるかたちの文字…というかほぼほぼ絵を描いて、それを知らない人でもわかるかたちで伝える。
でも絵だと上手下手が出てくるじゃないですか?
伝言ゲームみたいなことをしてたとして、間に下手な人が入ったせいで上手く伝わらなかった、みたいなことを避けるために、絵を簡略化することで文字になっていった…というのが象形文字なんじゃないかと。

そっから象形文字以外にも様々な文字を表す方法が生まれ、現在では中国語の辞典には10万字を超える漢字が載っているんだとか…すごくないですか10万字って。
まぁ辞典にはめったに使わない漢字も載っているそうなので、実際日常で使う漢字に絞ると1600字程度のことらしいんですが…にしたって1600字の形状と意味はみんなわかってて使ってるわけでしょ?すごいですよねー。

さてそこで。
一方その頃…みたいなことを考えてみたいわけですが…アルファベットってヤバくないですかそう考えると。

たった26文字しかないものを組み合わせて単語を作り、意味を伝えるという方式…いちいち漢字覚えなくていい!大発明ですよね。
アルファベットは紀元前1700年〜1500年頃に誕生した北セム文字というものから始まってるんだそう。
ただしこの北セム文字というのは子音しか存在せず、書いた時に母音は補って読まなくてはならず。
それを補おうといくつかの母音を表す文字を足して出来たのがギリシャ文字なんですって。

さて漢字とアルファベット…より厳密にローマ字という言い方にしますが。
同じ文字なのになんでまた一方は10万字以上、一方は26文字という極端な差が出てきてしまうのか…そこらへんのことは文字の成り立ちや種類に関わることでして。
ローマ字は表音文字という種類で、1字で1つの音を表すように作られた文字。
一方漢字は表語文字といい、その文字1字でなにかの意味を成すタイプの文字。
漢字の方がより限定的な使い方を目指した結果このような差が生まれたわけですね…ここにさらに派生してひらがなとか生まれて覚えるもんいっぱいで…ってそら日本語難しいとか言われるわw
てか漢字使って表記して、読めないからって読み仮名振る日本語っておっそろしい文字文化ですよねw


なんにしても。
古代の人達が生み出した文字のおかげで、我々はスムーズに意思疎通が図れるわけですね…人間ってのは昔っからラクするために頭使ってんだなーと思うと、今も昔もあまり変わってないのかもしれないですねw

考察 |

見る”ことば”。

街でお布団売ってるお店がありまして。
店先に「うもうふとん」って、全部ひらがなで書いてあったんですね。

歩きながら流し見だったせいもあると思うんですが、なんでか真ん中の「うふ」が印象的に飛び込んできたせいでまるで意味がわからず数秒後に「ああ羽毛布団か」と理解できたんですが。


日本語ってのはおもしろいもんで、当たり前に知ってるものでも書き方ひとつでこのように一瞬理解できなくなったり、まったく違った印象を与えたりすることがあるもんです。
アフレコなんかでもそれを感じることがありまして、オートで流れていく画面に合わせてお芝居をするというこの仕事の性質上、こっちのタイミングでお芝居は出来ないわけです。
しかも画面を見、マイク前の空き状況を見、音を立てないようにマイク前に行きお芝居をして帰ってくる…というやること見るとこ多い作業を同時進行でこなすため、ぱっと見て台本の漢字が読めずトチる、なんてことがままありまして…それを未然に防ぐためにいつの頃からか『現場に着いたらまず自分のセリフの漢字すべてに読み仮名を振る』というのが仕事前のルーティーンみたいになりました。
おもしろいもんで、漢字を見つつ隣に赤ペンで書かれたひらがなを読むとミスが減るんですよねー。
なんなら「これもう小さすぎて読めなくね?」ってサイズで書いてあっても何故かミスしないというw
きっと始まる前に「読み仮名を振った」という記憶が残ってて読めてるんだと思うんですが、その割には「僕」という漢字の場合役の年齢とか性格によって、ひらがなで「ぼく」と振ったりカタカナで「ボク」と振ったり分ける、とか、小さなこだわりとかもあったりして。
人間ってのはホントに不思議な生き物だなーと感じます。
…自分だけなのかもしれないので「人間」という括りにするのは違うのかもしれませんがw


で。

こうしてブログやTwitterなど文章で人様に思いを表現する媒体のとき限定なんですが、わざと「〜のような」という言葉を「〜のよーな」と長音で書いたりすることがありまして。
これも文字を見たときの印象で、どちらのほうがより今の気持ちが伝わりやすいか、ということを無意識下で判断して選んでるんだと思うんですが、なんでこんなことするようになったのかなー?とふと思いまして。
一因としては仕事で台本上の記載を気にしながら芝居をすることが多いから、というのがまずあるなと。
例えば「返せ。」と「返せ!」では芝居に変化が出ますし、「返せ!!」も「返せ…!」も「返せ…ッ!」もぜーんぶお芝居が変わると思っています。
現場の直しでも音響監督さんが「ここ「…」って書いてるけど無視していいから」などとダメ出しをされてる光景もよく見かけるので、おそらくは声優という職業の人はこういう『表記による表現の違い』に敏感な人が多いんだと思います。

がそれだけではないような気がして…いろいろ思い当たるフシを考えてみたんですが……ひとつだけ思い当たりました。

ほら、僕ってオタクじゃないですか?
今はそれほどでもなくなりましたけど昔はたくさんの漫画を読み漁って、オタク欲を満たしたり様々な文化を吸収したりしたもんです…。
その漫画のフキダシ。
これってそのキャラクターがどうしゃべるか、どういう性格なのかを説明する「キャラのヒント」でもあるんですよね。
それこそ僕なのかボクなのか、俺なのかオレなのか、私なのかワタシなのかワタクシなのかでぜんぶキャラ違って見えますよね?
こここそがこの表記文化の原点なんじゃないかな、という結論に至りまして。
その中でも特に『THE MOMOTAROH』という作品は僕の中に相当強い印象を残しているらしく…先述の「〜のよーな」みたいな表記の仕方がメチャクチャ出てくるんですよねw
中でも印象的なセリフ表記に

「○○たるやそーぞーを絶してやんの」

という表現がありまして。
なんのシーンだかは覚えてないんですけどこのフレーズだけ妙に印象的に残ってるんですよねー。


うもうふとんからまさかの10歳の頃の記憶まで遡ってしまいましたw
思ってもないところでいろんなこと考えて書いてるもんですね、文章って。
考察 |

こんりゃく!

最近、妹の様子がちょっとおかしいんだが。

この素晴らしい世界に祝福を!

モンスター娘のいる日常。

ダンジョンに出会いを求めるのは間違っているだろうか。


これらに共通することとはなんでしょう?



正解は……どれも僕が出ていること…ではなくw
名前が略される、ということです。
それぞれ『いもちょ』『このすば』『モンむす』『ダンまち』といった具合。

いちいちフルで名前呼ぶにはどれも長いから、ってのが略される理由でしょうが、だったらなんでそんな長い名前つけたんだっちゅー話でもあるんですが、逆に略されることで親しみが湧く、みたいな効果を期待してるのかなーとか勝手に想像したり。

にしてもこういったタイトルに関わらず日本語ってすぐ略したがると思いません?

上記のような長いものならまだしも、ぬらりひょんの孫だってぬら孫って略すし、ワンピースのことワンピって言ったりとか。
「ース」くらい言ったってそんな大した労力じゃないだろとw
ラルクにミスチル、セカオワだったりと、アーティスト名も略されます。
そんなん言い出したら人名だってキムタク、勝新、ニノに松潤とか略されまくりですけど。…まぁ人名の場合はあだ名といった側面もあるので単純に略してる、というわけではないのかもしれませんが。
かつての流行語でもチョベリバなんてのもありましたし、老いも若いも老若男女、日本人は略すのが好きなんだろうなーと感じることがあります。

では問題。
次のうち略語なのはどれ?すべて選びなさい。

・食パン
・レーザー
・ピアノ
・教科書


さぁどうでしょう…どれが略された言葉だと思いますか?
正解は……全部ですw
食パンは「主食用パン」、レーザーは「ライト・アンプリフィケーション・バイ・スティミュレイテッド・エミッション・オブ・ラジエーション」の頭文字をつなげて略した言葉、ピアノはイタリア語の「クラヴィチェンバロ・コル・ピアノ・エ・コルテ」を短くしたもの、教科書は「教科用図書」の略語なんですって。
知らないだけで、世の中には略語だと思ってなかったものが略語だったりするんですねー。
てかレーザーが超意外でしたね…システム的にはOPECとかと同じだったとは…絶対レーザーって英語がそもそもあるんだと思ってたw

てことは略したがりは日本人だけじゃないってことですよね?もーどれだけ人間はらくしたがるのか!w

たまには元の、長い名前のことも思い出してあげよう…なんてことをふと思ったというお話でした。





ちなみに今日のタイトル。これも略語です。
では略す前の正解はなんでしょう……?

正解は。

『こんなにも素晴らしい言葉が安易に略されるわけがない!』でしたw
ラクしないでちゃんと言ってこうぜ!ニンゲン!!w
考察 |

人を笑わせてみよう!

たまにはマジメなことでも書いてみようかと思います

書かないと…僕が声優だってこと忘れるでしょ?w



先日とある現場で、運動会のようなシーンにアフレコをするという瞬間がありました。
運動会というかまぁ、徒競走のようなレース的な感じだと思ってもらえればだいたい間違いないかと。
作品のテイスト的にはキャラの感じも名前からして既存の人物をモジッたギャグ感あふれる感じの…アレです、一堂零とか出瀬潔とかみたいな、奇面組的名前の感じ。
つまりはまぁコメディだよね、という感じのテイスト。
この日はメインでレースをする人たち以外にレースに参加している人、というキャラではじめましての方がいらっしゃってました。

アフレコの手順としては普通に、まずテストをしてそれから修正、本番を録って直し、という流れでまずはテスト。
前述の通りコメディテイスト強めに見える台本だったので、はじめましての人もそれを感じ取っているのか、台本上セリフのないところに荒めの息芝居を入れてみたり、かなり強めに笑いを取りにいくお芝居をされてました。
別に聞いててもなんらおかしなところはない感じ…だったんですが、テスト後の修正で音響監督さんが「そこはそんなハデにやらなくて大丈夫です」と。
「このシーンは笑いに見えるしそうなんだけど、競ってる本人たちはマジメにやってるのが視聴者から滑稽に見える感じにしたい」という意向だったんですが、コレ聞いてホント芝居って難しいな…と改めて思ったんですよね。

ひとくちに「お芝居」というと、パッと浮かぶのはやはりお芝居をする人、役者さんを想像するかと思います。
別にそれが悪いとかおかしいとかいうわけではなくいいんです、それは普通なんで。
ただここで、特に我々お芝居をすることを生業とする者が考えなければならないのが、「受け手」と「指揮者」のことなんですねー。
上の話でいえば受け手は視聴者、指揮者は音響監督。
指揮者っつっちゃったんですけどあえて料理に例えますがw
料理の場合でいえば、視聴者はお客さん、音響監督は料理人、そして僕ら役者は料理の材料にあたります。
料理人はお客さんの注文に合わせ、それに適した材料を適した形に切ったり味付けしたりして、ひとつの料理を完成させます。
その料理を食べてお客さんに「美味しい」と感じてもらうのはもちろんですが、そこにある種の隠し味みたいなものが入っていると「また来よう」と思ってもらえる名店になっていくわけですよね。

話を芝居に戻しまして。
お客さんの注文が台本に書いてあるセリフやト書きで、音響監督はその書かれている役にピッタリな人を配役し、実際にテストでやってもらった後に”調理”するわけです。
上の話でいえば『コメディなんだけど、本人たちは真剣にやってるのが逆に滑稽』という部分が隠し味になります。
平たく言えば演出ってことなんですが、そうすることでパッと見た脚本の印象よりもより深くシーンが創り上げられていくというか…いくら素材が美味くても、使いどころやかける調味料間違えたらその美味しさが生きてこないというか。
音響監督の真髄を見たような気がしました。

でまたこの件で感じたのが、笑いの難しさ。

今回のケースでいえば、笑いを取るシーンで「笑いを取りに行かないで」というディレクションをしているわけです。
でも結果笑いは取れる、という判断のもとこのディレクションをしているんですよ…え、なにこれ矛盾?それとも哲学?とか思いません?w
でもソレこそが”笑い”なんですよね。

よく役者仲間とお芝居における笑いの話をする時に『コメディ』と『バラエティ』の違い、みたいな話をします。
僕ら役者がやるのがコメディ。お笑い芸人さんたちみたいなプロの笑いを取る人たちが作り上げるのがバラエティ、だいたいそんな認識だと思ってください。
お芝居にはお話の流れがあって、キャラクターがそこに生きていて、その流れとキャラクターにそって笑いを取る、という作業が必要になります。
その枠から飛び出してしまうと世界観が保てなくなってしまうので。
ただ笑いとは”裏切り”であるという側面も持ち合わせてまして…流れを崩さない程度に”外す”ことで笑いを取ることもあるわけです。
ここまではコメディの範疇。
バラエティというのはテレビのバラエティ番組みたいな感じで、誰かがボケたらそれにツッコんだり乗ったりして、流れ自体もその場で作り上げていくもので、登場している全員が「未来の流れを知らない」状態で作っていくわけです。
誰かが前に出たらより立つように周りでフォローしたり、目立ってない人がいたらその人に流れが行くように組み立てたりと、流れ自体から全員で作っていくわけです。
まぁこれもプロの芸人さんたちがやるからきちんと面白く成立しているだけで、素人みたいな人たちがマネごとしようとすると誰かが悪目立ちしたりヘンな沈黙が生まれたりと、上手くいかない非常に難易度の高いことなんですが…たまーにコメディ作ろうとしてるのにバラエティのやり方で入ろうとしてくる人がいるんですよねー。
前述の通りアレはプロの芸人さんたちだから成立してるものだし、コメディはそもそも流れが決まってるわけです。
そこで流れを無視して自分だけ面白くなろうと突拍子もないことしちゃう人がいたりして、ここのバランス読み間違えるとせっかくの面白い本も台無しになってしまうこともしばしば。
生徒Bがめっちゃ意味深な芝居してたらおかしいじゃないですか?wつまりはそういうこと。
コメディの世界でバラエティやろうとすると大失敗してしまうのです。

あとコレも見ていて「笑いって難しいな…」と思うことがありまして。それが『ツッコミ』。

バラエティの世界にもコメディの世界にも存在するものではあるんですが、コレって僕、バラエティの世界からやってきた異文化コミュニケーションだと思うんですよね。
僕はバラエティ番組が好きでよく見てるからコメディ作品で「なんでだよ!!!!」とか書いてあってもすんなり受け入れられるんですけど、あまりコメディ作品に慣れてない役者さんからするとわからないらしいんですよね。
そういった方が現場で音響監督さんに「この「なんでだよ」のセリフはどういう感情で言えば…」と質問をしてる姿をよく見かけます。
それを見ていていつも「意味なんてないのに…」と思っちゃうんですよw
バラエティ…というか笑いの基本って、「誰かを笑わせること」じゃないですか?めっちゃ当たり前の話ですけどw
コメディの場合は役があって流れがあるからそこに沿ってないとダメなんですけど、バラエティの場合はそれらがなく、等身大の自分が目の前のお客さんを笑わせるという側面が強いです。
つまりは「目の前にいるお客さんに対して表現をするもの」なのです。
ツッコミもその世界から来たものだから、目の前でボケた役にかけても意味がないし、怒るとか笑うとか役自体の感情もどうでもよくて「今面白いとこですよ〜」という記号を視聴者に投げかけるものなんですよね。
だから僕の中では「喜・怒・哀・楽・ツッコミ」という五大要素がコメディにおける心の動きだと思ってます。

というかもっといってしまえば、お芝居自体も僕は全て「お客さんに振るもの」だと思っています。
僕らがどれだけ役になりきって感情を理解して芝居をしようと、それが見ている人に伝わらなくては意味がありません。
役になりきることでそれが上手く表現できる人はそれで良いですが、そうじゃなければ「この役は今こういう感情です」ということをお客さんに伝えることこそが大事だと。
何故泣いているのか?それは目の前で大切な人が命を落としたから。という説明を、涙混じりの声で名前を呼ぶことで表現するわけです。
僕らは分業で声だけ担当なので、極論実際泣いてなくても泣いているように聞こえればいいわけですよw


とまぁ最後は多少乱暴な意見になりましたがw
笑いもお芝居も突き詰めていくと難しいなぁ…というお話。

あとどの作品かはまだ言えませんが、どっかのそんな感じの番組にそのうちお邪魔するんでいろいろチェックしてみてくださーいw

考察 |
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