マジP!

間島淳司の日常をプロデュース!!

嗚呼、諸行無常。

みんな大好き灌仏会。

…覚えてます?お釈迦様の誕生を祝う行事の名前ですよ〜?
そこからふとした思いつきで調べ始めたお釈迦様の人生。
昨日はその半生・菩提樹の下で悟りを開いた35歳の頃までをご紹介しました。
お釈迦様が没されたのは80歳の時のことらしいのであと半分ちょっと、時間の許す限りお話していこうと思います〜。

ちなみに言っておきますが、実家は仏教でしょうけど僕は無神論者ですw


遂に悟りを開いたシッダールタこと、ブッダ。
彼はしばらくその余韻に浸るかの如く木の下で瞑想を続けます。
そこで「この悟り、まだ悟りを開いてない人に教えてあげようか…」と悩み考えますが、結局は教えない道を選びますw
理由も明確で「言葉で聞いてもみんな悟れないだろうから、言うだけ無駄だからやめよう」というものw
ところがそこに梵天様が現れて「頼む!頼むって!な!?説こうぜ教え!!」「イヤですだって無駄だもん」というやりとりを3度も繰り返し、「そんなに言うなら…」と、自らの悟りの確信を得るために、とかつてともに修行をした5人の仲間に教えを説くことを決意します。
…たしかにその5人なら、一般の人よりは話して聞かせたら悟り開ける可能性ありそうですもんねw

街を移動し彼らに会うと、ブッダは5人を前にお話を始めます。
ざっくり言うと「この世の真理は苦しみだけど、それには原因があって克服できるよ〜?」ということと「これが”正しい修行の仕方”とその考え方だ!」みたいなこと。
苦行がイヤで逃げ出したと思ってる5人は最初はバカにしていたものの、次第にブッダの話に感銘を受け、なんやかんや皆して悟りを開きました。
ちなみにこの時の説法を、5人以外にもシカが聞いていたとされており、奈良でシカが大事にされてるのはそういう理由からなんだよ、ということも書いてありました。
どうりで…シカめ、盗み聞きして徳を得るなんてずるいぞw

その後悟りを開いた6人は教団を結成、教えを説いてまわり、その教えに他の宗教者たちも賛同、自らの信者もまるごと信者に、ということを繰り返していくうちにすぐに教団は1000人を超える規模に。
教えは国を飛び越え近隣諸国にまで広まり、お金の援助を申し出る信者なんかも出てきて、わずか5年ほどで「ちゃんと戒律とか作らないとマズイよね」ってくらい大きな集団になっていきます。


がここからの人生は、亡くなる直前・79歳の頃までの記述がほとんどないそうで。
39年ほど歴史を進めてみたいと思います。

ブッダは大勢の弟子を連れ、最後の教えの旅に出ます。
街を転々としながら弟子たちによる質問に答え、戒めを守ることの大切さ、亡くなった人々の運命、悟りに至るための4種の観念、仏教を志すものが修めるべき基礎的修行項目といったことを説いていきます。
この後大きな病にかかりますが、この病は無事完治。
最後の旅へと赴きます。
たどり着いた街でも同じように教えを説きながら過ごしていた時、突如激しい腹痛に襲われ倒れ、沙羅双樹という樹の元で横になると、そのままこの世を去りました。
原因は…まさかの食中毒。

その後ブッダは火葬され送り出されますが、遺された弟子たちが「ブッダの教えが誤って独り歩きしないように」と、500人の弟子たちが集まり記憶を元に編纂され、それが今の経典につながっていく…と、こういう話だそうです。


いかがでしょう、ブッダの人生…思っていたより神々しくなく、神であるというよりは人の延長、といった印象を受けるのは僕だけでしょうか。
母の脇から生まれ生まれてすぐに立って歩いて喋った赤子が、最期食中毒で亡くなるというのも…やはり人である感じがしてとても身近な感じがします。

そして釈迦がたどり着いた悟りの境地、それがなんであるかということを簡単にいうならば「執着を捨てろ」ということのようです。
この世の物事はすべて移ろいゆくのに、人間という生き物は様々なものに執着するから、変わらないことを願い、変わらないと思い込む。
執着を捨て、すべてをあるがまま受け止めることでしか、苦しみから解き放たれることは出来ない。
平安とは”苦しみから解き放たれること”でしか手に入れられないものであるからこそ、惑わされることなく現実を直視し、執着を断つことこそが悟りへの道である、と。
『諸行無常』ってのがまさにそのことを表しているそうですが、この『無常』を受け入れることで、人は真の意味で自由になり、輪廻の外に出ることさえも可能になる…とかなんとか、そんな考えが仏教の教えのようです。

また『色即是空、空即是色』という言葉に出てくる『空』という言葉。
コレも「からっぽ」という意味ではなく、いうなれば”すべて”という意味合いがあるようです。
人はすべてのものとつながっていて、それは身近な親、友達といった人だけでなく、生きとし生けるもの、口にする食べ物、植物や日光や水、果ては宇宙のすべてのものとつながり、すべての物質と溶け合っている、という考え方を、仏教の世界では『空』という一文字で表現するのです。
この世の全ては”空”であり、すなわちこの世にあるものはすべてあなたと同じものなんだよ、という考え方。
地球どころか、宇宙まるごと一つの生命体である、とでもいうべき考えが、ブッダがたどり着いた真実の一つの姿なのです。


さあ、花まつりから始まった仏教の世界の旅。
いくつかの文献を辿りながら僕なりにわかりやすく書き直しているので、多少ムチャクチャ書いてあるところもあるかもしれませんが、大筋では間違っていないはずですw
どんな事柄でもですが、そのすべてを知るということは非常に難しいもの。
でもその一端を、わかりやすい形でならスッと入ってきて興味を持てたりするんですよね。
冒頭で無神論者と書きましたが、今回調べて仏教というものの根底にある教えは間違っていない素晴らしいものだと体感することが出来ました。
花まつりには間に合いませんでしたが、何かの折にお寺さんに行ってありがたい話を聞く、なんて選択肢も悪くないな、と思えたことが、今回得た最大のプレゼントかもしれません。


さあみんな、レッツ・仏教w(ふざけずにはいられない悟りから最も遠いこの位置よw)
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考察 |

大きなあの…ほら、木の下で!

日付は変わってしまいましたが4月8日がタイヘンな日だということに気が付きました。
知ってました皆さん何の日か?

…テレビで『Dr.スランプアラレちゃん』が放送された日?
そうだけど違います。
……週刊文春が創刊された日?
そうだけど違います。文春砲でぶち抜くぞw

もっとすっごいタイヘンな日ですよ!ほら!あのどえらい人の!誕生日!!

…千昌夫さん?いや誕生日なんだけど違うから!
…フェリペ4世?スペインの王様の?たしかに偉いけど違う!もっともーっと偉い人!
…たかみな?元AKBの?いや総監督だからってスペイン王より偉いわけないでしょw

そうじゃなくて今日はあの人の生まれた日ですよ!お祭りにもなってるっつーのに!
そう花まつりの。…はい正解お釈迦様!!

4月8日はお釈迦様が生まれた日であり、それをお祝いする灌仏会(かんぶつえ)なのです。
ほらめっちゃ偉いでしょ?だって仏教作った人よ?
僕が通っていた幼稚園は仏教系の幼稚園だったので4月に入って早々灌仏会…花まつりのお祝いが年間行事として組み込まれていました。
小さい頃の記憶なんですけどなんとなーく覚えてるんですよね…花で飾り付けられた小さなお堂に受け皿みたいなのがあって、その真中に小さいお釈迦様の像があって。
それに甘茶かけてそれ飲んで…あと白い象も飾られてたような…そんな、35年くらい前の記憶。
好きじゃなかったな〜、甘茶w

調べてみると花まつりはお釈迦様の誕生を祝う日なので、生まれた瞬間のことを表現している模様。
小さい像はサイズ的にも小さいですが生まれた瞬間・産み落とされてすぐに7歩歩き、天と地を指差して「天上天下唯我独尊」と唱えた時の様子を表した像。
甘茶をかけるのは生まれたときに誕生をお祝いした竜が、産湯に浸からせるために甘露の雨を降らせた、という伝承から。
白い象に関しては、釈迦のお母さんが身ごもったときに「白い象が入ってくる夢を見た」と言ったことから来ているそう。
『花まつり』の由来にもなっているであろうお堂を花で飾り付けるのは、お釈迦様が生まれたルンピニの花園に見立てているからなんですって。

また一つ…賢くなってしまいましたねw

が花まつりってイマイチ浸透してない感が強いですよね〜、僕は幼稚園のときに体験してるから知ってたけど、キリストの生誕祭であるクリスマスなんかに比べて全然イベント化されてないし。
一説にはクリスマスはケーキ屋の、バレンタインはチョコレート業界の陰謀でこんな感じになったなんて話を聞きますが、たしかにそれで行くと花まつりに出てくる食材…甘茶だけですしね…甘茶業界ってそんな広くなさそうですし流行らなさそうですもんねぇw
とここで取り上げたところで僕一人の力では花まつりが流行することもないでしょうから、代わりにみんなあんまり知らないであろうお釈迦様のことについて調べてみました。
ただ仏教用語とか地名とか、難しくて読む気が起こらない文字列が頻発するので、極力使わずわかりやすく伝えるのを心がけてみたいと思います。


お釈迦様ことガウタマ・シッダールタは、バラモン…良いとこの息子として生まれましたw
先述の通り白い象が入ってきた夢を見たお母さんが実家に帰省してお産をしようと向かう道中産気づき、やむなく産むことになったのがさっきのルンピニという場所。
生まれた時の「天上天下唯我独尊」も大概なエピソードですが、もう一つ『お母さんの脇から生まれた』というトンデモエピソードも持っています。
生まれた瞬間から常人の理解を超えてきます…さすが将来の聖人w
ただ脇から産んだリスクはデカかったのか、お母さんはお産の後熱にうなされ7日後に死んでしまいます。
そこからはお母さんの妹・つまり叔母さんがお母さん代わりとなってシッダールタを育てました。
そのまますくすくと育ち、なんと16歳のときにはもう奥さんをもらい、長男ラーフラ君も生まれます。

そんなシッダールタパパですが、パパになった翌年・17歳のときに一つの転機が訪れます。
ある日ちょっと郊外にお出かけしようと4つの門をくぐることになったとき、一つ目の門で老人を、2つ目の門で病人を、3つ目の門では死者を見かけます。
僕だったら華麗にスルーするところ(死体はムリかもしんないですがw)ですが、シッダールタははたと気が付きます。
3つの門で見た老人、病人、死者は人生における苦しみであり、それは我が身にも降りかかるものだと。どうやったら克服することが出来るんだろう…と。
…病人や死者はまだしも、ジジイ見て「やだ苦しみ!」ってのも失礼な話な気もしますがw、気づいてしまったものは仕方がない。
そんなことを考えながら4つ目の門を通ったとき、今度は修行者に会います。
ここで彼は出家の意志を持つことになるのです。

そして歳月は流れ、シッダールタ29歳の頃、彼は今の裕福な暮らしを捨て出家をします。
…意志持ってから12年はだいぶ長すぎな気もしますが、ようやっと彼はブッダへの道に入ることになるのです。
出家後、彼は3人の仙人のもとを訪れ師と仰ぎますが、どれも途中で「…これやってても開けねぇな、悟り」と気付き、師の元を去ります。
12年の間考え抜いた結果でしょうかね、なんと考えのしっかりした若者でしょうw
その後家出した実家から送られて来た5人の修行者とともに、「他人なんかもうあてにしねぇ!」とばかりに苦しい修行に打ち込みます。
そして6年の歳月が経った時、彼はまたしても気づいてしまうのです。
「断食したり肉体をいじめ抜く苦行を強いても、その先に悟りは待っていない」…と。
気づいた彼は迅速で、まだ修行してる仲間をほっといて自分は修行をやめてしまいます。
彼的には悟りにたどり着かない無意味な行為だと感じたから止めただけなのですが、周りの仲間は「あいつ修行がキツくてドロップアウトしやがったププー!」とバカにされ、仲間たちはもといた彼の父の元へと帰り、一人ほっぽり出されてしまいます。
断食や厳しい修行のダメージを、たまたま立ち寄った村の娘にもらったミルク粥で回復させると、いよいよシッダールタは悟りへの道へと進みます。
同じ村にあった大きな菩提樹の下で「悟り開かなかったらこっから立たない!」と強く心に決め、そこで瞑想を開始するのです。
瞑想の最中、「ここで止めないとコイツ悟り開きそうだな」と感じたのか、悪魔が彼の心を遮ろうとすげー邪魔をしてきますがシッダールタはコレを無視!w
なんなら調伏までして悪魔を退け、その49日後についに悟りの境地へと至るのです…!
仏陀、という言葉は「覚醒者」という意味があるそうなので、シッダールタはこの地で晴れてブッダとなった、ということですね。


と前半はここまで!!w
まだブッダとして覚醒した半生ですが、長くなってきたので一旦このへんで。
一応最後まで続けないと気持ちが悪いので明日はこの続きからブッダが亡くなるところまでを語っていきたいと思います。

どんなことでもそうですけど…調べるとホントおもしろいですよねw

考察 |

話し方に気をつけろ

世の中は表裏一体。
表側の面があるなら当然裏の面があります。


「光在るところ、必ず影ができる。」
悪役セリフのテンプレみたいなヤツですが、実に真理を体現しているセリフだと思います。
どんなものにも表と裏があり、その表裏が一体となってひとつである。
数々の作品で例えるとわかりやすいですが、だいたいの物語で「深ぇ…」と感じるものってこの”表裏”を使ってることが多いと思います。

例えば僕が出てた『暗殺教室』。
殺さねばならない敵として出会った殺せんせー。
授業を通じて心を通わせる生徒たち…クラスは「殺す派」と「殺さない派」に別れ、学校の裏山でクラスを2つに分けたバトルを繰り広げます。

例えば僕の大好きな『機動武闘伝Gガンダム』。
主人公・ドモンが師として慕っていた東方不敗が、ある日突然敵の幹部の一人だということが発覚。
裏切りを信じたくないドモン…でも現実に師匠は敵としてドモンに襲いかかる。
いつしかドモンも超えねばならない”敵”として師と対峙し、撃破。
戦いの後師匠は弟子の胸で、地球を救うために選んだ選択肢が主人公とは逆だったことを語り、息絶えていきます。

『暗殺教室』ではクラスの生徒は皆せんせーのこと、自分たちとせんせーの関係を守るために意見が対立。
同じプロセスを経て考えたのに別の答えにたどり着いた結果の戦いです。
『Gガンダム』でも、師匠とドモンは同じく地球のために戦う部分がありつつも、その辿り着いた答えが正反対であり、結果師弟は戦いの中に身を投じていくことになるわけです。
この場合はドモンや視聴者には『師匠の真意』は伝わっておらず、「主人公の邪魔をするワルモノ」として師匠が描かれているため、ラストバトルで師匠が息絶える際にドモンも視聴者も涙を流すのです…泣いたー。


このように、表裏が存在すると”表から見ているもの”には”裏側”が見えず、それを巧みに使った物語や、表と裏両方を見せることで視聴者に選択や動揺、感動を与える、という手法が使えるわけです。
子供向け作品なんかでは敵は「誰が見ても悪いヤツ」として描かれるケースが多く、やっつけられて爽快、というかたちを取ることで視聴者である子どもたちに悪は良くないものなんだ、正義は勝つんだということを教える意味がありますよね。
それまでアニメはそういう「子どもたちに向けて作られたわかりやすいもの」だったという既成概念を打ち壊し、連邦軍とジオン、どちらにも正義があり、見る側によって正義は違うんだ、ということを描いた『機動戦士ガンダム』という作品は非常に素晴らしい作品である、ということなのです。


作品に例えるとわかりやすいので今までお話してきましたが、考えてみればコインにだって表裏があるわけで、物質だろうと概念だろうとなんにだって表裏があるということがわかります。
物語にまでいかない”言葉”にだって、表裏があります…それによって非常にイメージが変わるのです。

例えば『お刺身』。
魚に限らずですが食品は”鮮度”が大切。
水揚げされた直後のお魚を捌いて食べてる映像とか見てるとすっごい美味しそうじゃないですか?
でも例えば、水揚げされたて捌きたての魚で作った刺し身のことをこう表現したらどうでしょうか。

「さっきまで泳いでた、死んだ魚の生肉」

…うわー、不味そう、こんなん絶対食べたくないw
でも意味としては同じなのでこれもまた”表裏”。言い方の表裏で受け取り方がこんなに変わります。

例えば『美人』。
初対面の人に「すっごい綺麗」とか「美人だねー」とか言われるのって照れくさいし、言う側もきっと照れくさいはず。
僕だったら思っても言えませんw
その言い換えが「好みのタイプ」とか「顔が好み」とかになるわけですが、これが行き過ぎると褒められてるはずなのになんかムカつく印象になります。

「親がその顔に生んでくれてよかったねー」

これだと「顔が綺麗じゃなかったらお前は最悪」と言われているかのような、言ってもいない”裏”がプンプン伝わってきて言われた側は素直に喜べないどころか下手したらそれこそ激おこプンプンですw


このように同じ事象でも、”表”と”裏”を間違えるとタイヘンなことになる、ということです。
いつでも正しい方…オモテが選べると良いですよね。


ただし。

”おもてなし”される際には、表無し…”ウラがある”ということも忘れずにw

という最後をラーメンズのネタで締めるというまさかの暴挙w
好きなんですよねーこのセリフ。
まぁおもてなしって「もてなし」だから表とか裏とか関係ないのはわかってるんですけどねw

考察 |

ノーコンティニューでクリアしてやるぜ!

世間では今日から『プレミアムフライデー』なるものが始まったようですね。


「毎月月末の金曜は仕事を15時に切り上げて、余暇をしっかりたっぷり楽しもう」というものだそうですが、すごくいい考えだなーと思う反面日本で根付くのかな…という不安も。
物理的に仕事する時間が減るわけで、そこまで景気も良くない雰囲気の中GOサインを出せる会社は実際少ないようですし、「亭主元気で留守が良い」なんて言葉もン十年前に出来た日本文化の中。
実際に16時くらいに旦那が家に帰ってくることをあまり望まないような、奥様の意見もちらほら。
さらには15時から飲みに行って「あそこの会社はプレミアムフライデーなのか…くそ」とかいう周りの非導入派の会社員からの目を気にして「やっぱ19時から飲みに行こうぜ、それまで三々五々で」みたいな消極派の意見なんかもありそうな気がします。
まぁ実際週休二日制が導入されたときも批判的な意見も多かったそうですし、それでも根付いたことを考えるといつかは…という気はしますが、どちらにしても我々の業界にはあんま関係なさそうなので皆さんせいぜい景気を回していただきたいと思いますw


さてそんなプレミアムフライデー。
数時間ではあるものの余暇が増える、ということで、天邪鬼な考えを発揮する今日の我がブログは…仕事について書いてみたいと思いますw
ヒャッハァー!人が働いてるときには休みたくて、人が働いてないときには働きたいぜー!!w

まず我々の仕事『声優』ですが、現在は非常に多岐にわたるお仕事をさせて戴いております。
仕事の裾野が広がったというか、間口が広がったというか。
僕らが目指したときにはアフレコやラジオ、ナレーションなんかが主だった仕事の印象でしたが、現在ではTVやネット番組への出演、雑誌、人によってはライブ活動なんかも仕事の内訳に入ってきています。
各事務所さんや各役者さん毎に特色や得意分野もあるでしょうから全員がすべての仕事をするわけではありませんが、もはや声優というよりタレント…もっといえばマルチメディアクリエイターみたいな職業になりつつあるな、という印象。
その中でもやっぱり楽しくてやりたかったのはどうしても『アフレコ』になりますけどね。
ということで本日はアフレコについてのお話。

アフレコ…特に僕の場合アニメのアフレコが多いわけですが、アニメでも洋画でもやってることは「画面内にいる人物になりきってお芝居をアテる」という作業であることに変わりはありません。
ここで大事にしなければいけないのは「キチンと表現をする」ということです。
ただ台本に書いてある文字列をタイミングよく読むだけではお芝居になりませんから。
口パクが合うことは最低条件、そこにどういうプラスアルファを乗せられるかが良い役者かどうかだと感じます。
台本通りにやろう、ト書きを読み込もう、アドリブを入れてやろう、人それぞれにプラスアルファの乗せ方は違うと思いますが、僕にとってアフレコは…ゲームですw

「遊びでやってんのかふざけんな」とか言われそうですがもちろんそうではありません。
もともとオタクで自分に自信なんかないタイプの僕は、台本に書いてある通りのことしか出来ないと思っています。
アドリブで面白いこと思いつく人は本当にすごいな…ト書きに書いてない選択肢選べる人は本当にすごいな、といつも感じてます。
そんな僕に出来ることは「台本に書いてある設計図通りにお芝居を作ること」です。
過不足なく、100%台本に書いてある通りに演じる。それが僕のお芝居の正解。
キャラクター性もそうですけど、アフレコの場合喋る速度も作品やキャラクターによって違います。
それもまた『設計図』の一つであり、それが僕にとって早かろうが遅かろうが、台本に書いてある通りに実現する。
家でのチェックや現場でのテストで口の動きを確認して速さを調整、直しを経て本番、あるならばリテイク。
これらすべての作業を、高い精度でやっていきたいなーと思っています。
感覚でいえばちょうど音ゲーで上から流れてくるのをタイミング良く押していく感じ。それに近い感覚。
GoodではなくMarvelousですべてをクリアしていきたい感じ…わかりますこの感覚w
だから「ゲーム」なのです。

人によっては『ドラマCDの方が自分の速度で芝居できるから楽しい』と言ってる方もいますが、僕からしたらアフレコの方が楽しいしやりがいあるんですよねー。
僕がやりたいのは自分の芝居を見せつけることじゃなくて、お芝居を通じて誰かの歯車になることだから。
ドラマCDも楽しいけど、ヒントが少ないんで不安の方がデカいですw
ラジオなんか聞いてもおわかりだと思いますけど、僕喋る速度が根本的に早いんで、ドラマCDやゲームのような自分で速度調整する役だと80%くらいの確率で「お芝居の方向性良いんですけどちょっと早いですね」って言われますw
仕方ないんじゃ〜、ヒント少なくて不安なんじゃ〜、自信ないから終わるなら早く終わらせたいから早口になるんじゃ〜w

こんなこと言ってると「ホントにお芝居楽しいの???」とか思われそうですが、お芝居は楽しいですw


役者然たる方々って、自己表現としてお芝居をなさってる方が多くて、自信に満ち溢れててカッコイイなーって思います。
ただ僕の場合はそうではなくて、自己を使って他人の表現のお手伝いがしたいというか…いうなれば『他己表現』としてお芝居をしているってことです。
だから何にだってなりたいし、なんだって出来たいし、難易度の高い役ほど燃えるのです…なんかドMみたいだけどw

あんまり役者同士でもこういう話しないんでいろんな役者さんからお話聞いてみたいですよね、こういうの。
でも聞いてるんだろうな…酒の席の2次会とかで。
覚えてないだけでw

あーもったいない!!w

考察 |

先っちょだけ!

手。足。耳。目。口。

体だけに限らずこの世のもののほとんどには”名前”が付いています。
おかげで他人と意識共有がしやすいわけですが、この名前ってそもそもどうやって決まったんですかね?

子供の頃漢字の成り立ちとかは勉強したので「目のカタチから目という漢字が生まれたんだよ」とかそういうことは知ってますが、そもそも目のことを「め」と何故読むのか、といったことに関しては聞いたことがありません。
鼻にしたって口にしたって、何故そう発音するのか…マジで不思議。
おっぱいなんかはね、「おなかいっぱい」の「いっぱい」が転じておっぱいになったとか、「おおうまい」が変化しておっぱいになったとか、女性を背中におぶさった時に真っ先に当たることから「負う背」が転じておっぱいになったとか様々な説がありますけどね。


まぁ3つ目はウソですけどw


とにかく名前というものは便利ではあるけどどうやって決まったのかわかんないなーと思いましたがコレに関しては調べようもなさそうなので今日のところは「不思議だね」ということで話を進めますw

そんな不思議な名前。
ものによってはより細部を表現するために言葉を付け足すことがありますよね。
例えば目だったら、目頭とか目尻とか。
鼻でも鼻先、なんて言い方をしたり、他にも指先とかつま先とか、体以外でも矢尻(鏃とも書きますが)だったりと”端”を表す言葉ってありますけど、コレがまた不思議だなーと思った次第。

”先”と”尻”の使い分けってなんなん?w

どっちも端っこを表す言葉のくせに場所によって尻だったり先だったり…じゃあおっぱいの先っぽは乳尻かよ!尻の端っこは尻尻かよ!てか尻の端っこってどこだよ!などと思ったりしてw
で、いろんなものの”端っこ”の言い方を考えてみました。

目尻。

鼻先。

つま先。

指先。

矢尻。

言葉尻。

…なんとなくですが、「始まりが明確なもの」の端っこは「尻」が使われてる印象。
目頭があるから目尻がある、みたいなことですね。
…頭と尻ってのも”両端”という意味ではちょっとおかしい気もしますけど。
あるだろつま先とかもっと離れた端っこがw

もっと考えてみましょう。

軒先。

店先。

幸先。

出会い頭。

先頭。

最後尾。

尾っぽ出てきた!!w

確かに考えてみれば人間には尾てい骨があり、サルから進化したんだと考えるなら古来には尻尾があったわけで、だとすると端っこは尻というより尾だろう、と。
てか先”頭”で最後”尾”って目頭と目尻とルールが違うやんけw
まだ何かあるかもしれません…考えてみましょう。

舌先。

手先。

行き先。

乳首。

首出てきた!!w
と思ってビックリしましたが、そういや乳首は『乳頭』ともいうので端っことしては”頭”でしたわw

そしていろんな端っこを調べてて一番不思議だったのがコレ!

『しんがり』。

しん…がり???なにしんがりって!!w
気になりまくりで調べてみたところ、しんがりは漢字で書くと『殿』。
殿様出てきたー!!w

ウソでしょ…最後尾が…殿w
一番大事な人だからSPが守るかの如く狙われにくい最後尾に配置したってこと???などといろいろ想像しましたが全然違いました。

しんがり…殿は、後駆(しりがり)が変化した言葉で、意味はもちろん最後尾。
漢字表記の『殿』は、「臀」という字の原字に通じるそうで、意味としては「尻」なんだそう。

ということで殿様無関係で結局尻でしたw
いやーしかし言葉っておもしろいですねー、また一つお利口になった気が。
尻のことをしんがりって言うんですね…




ねぇ、キミのしんがり…見せてくれない?(端っこ無関係w)

考察 |
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