マジP!

間島淳司の日常をプロデュース!!

お寿司を貫け!

今日は昨日ちらっと触れた「お寿司の数え方」について触れてみようと思います。


お寿司一貫といえばいくつ?
と言われると、1個なのか2個なのかでけっこう意見が分かれるんじゃないかと思います。
2つで1セットのものの数え方って非常にレアな気がするんですが、他に挙げれば靴の1足二足、箸の1膳2膳などが挙げれれると思いますが、靴にしても箸にしても1つじゃ役に立たない『2つあるのが当たり前』『2つあることで初めて意味を成す』もの。
対してお寿司は別に1つだけでも食べられるわけで、そのあたりがお寿司の『1貫』をあやふやにしているんじゃないかと考えられます。
実際すしざんまいとかでお寿司注文すると一つずつの状態で出てきたりしますし。
2つで1セットじゃない状態で提供するお店もあるわけで、もしかしたら2つ1セットという感覚自体がなくなってきているのかもしれません。
でも回転寿司とかでも「マグロください」って注文すると「はいよ」つって2つセットで当たり前のように出てきますもんね…一体どっちなんw

そもそもでいえば、寿司自体の起源は東南アジアの魚の貯蔵法からはじまるんだそう。
川魚を保存するために米などの穀物と一緒に漬け込んで、米の発酵を利用して魚を長く保存する目的のものが『すし(馴れずし)』。
我々が想像している握り寿司は、いわゆる江戸前寿司のことで、名前の通り江戸時代の後期に生まれたようです。
ただその頃の寿司は今の握り寿司よりもだいぶ大きくて、コンビニのおにぎりよりもちょっと大きいくらいのサイズだったんだとか…
ちなみにこの頃は寿司のことを1貫2貫とは数えず、普通に1つ2つと数えていたそうです。

一説によれば、このデカめの寿司一個が、当時のお金の100文と同じくらいの重さで、その頃のお金って銭形平次を想像するとわかりやすいですけど持ち歩く時に真ん中の穴に紐通して持ち歩いたりしてたんだそうでして、その1くくりを100文でまとめてたために「この紐でくくった100文の銭と同じくらいの重さだね」っつーことで、1貫と呼ぶのが起源になったなんて説もあるようです…お金貫いてまとめてるんで100文で1貫ってことですね。
で、デカめの寿司ひとつが1貫…だったんですが、「さすがにコレでかくね?」ってことで、食べやすい大きさに分割…2つに分けたってことですね、した結果、1貫=2つという法則が生まれた、なんて話も。

また別の説では明治時代くらいの頃には俗に10銭を1貫と呼ぶ風習があり、当時は寿司の値段が1つで5銭くらいだったため、2つで10銭…つまり1貫だったことから、寿司2つで1貫、と呼ぶようになった、なんて説もあります。

2つで1貫説はこうやって生まれたということですね…ただコレがまたおもしろいのが、寿司を1貫2貫と数えるようになったのって実は昭和の終わり頃からなんですってw
文献なんかを見ると江戸時代も明治時代もお寿司のことを1つ2つって数えてるんだとか…意外と最近の文化だったってことですね。
そんな最近の文化に対して「起源は…」なんてもっともらしいことを言い、どっちが正しいんだ!?なんて考える事自体がもはやなんっセンスなのかもしれませんが…なーんか寿司のこと1つ2つって数えてるとものの数え方知らないアホな人みたいに思われそうでアレですよねw

ただこれで正しい知識が手に入ったことにより「寿司は1貫2貫でしょw」とバカにしてきたヤツがいたとしても論破出来るようになったわけです!
バカって言った方がバカなんですー!!w


間違いを生まないためにも、皆さんも気兼ねなくお寿司のことは1つ2つと数えましょう…なんだよ1貫って!!
1貫とかいうくせに定義が一貫してねえんだよ!!w

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考察 |

当たり前じゃねぇからな!

人間にとって一番怖いことに気が付きました…なんだと思います?

お化け?ノンノン。そういうのじゃない。
虫?ノンノン。…それはかなり怖いけどキモいも入るからw
じゃあ…まんじゅう?それは落語の演目ですからー!!w

全て違います。一番怖いのは……『慣れ』です。


どんなことでも初めてがあって、続けるうちに次第に慣れていきますよね?
よく言われるのはスポーツなんかだと思いますが、慣れて余裕が出てきて油断した時にケガにつながる、なんてこと聞いたことありません?
恋人同士の別れなんかでもそう。
あんなにドキドキして毎日相手のことを考えない日はなかった付き合いたてのあの頃…があったのに、次第に相手が隣にいることに慣れて、当たり前になって、小さな歪が生まれて…いつしか修正できないほどのすれ違いに発展してしまったり。

上の2例は非常にわかりやすい『慣れ』のケースですが、この世の殆どのことはそうなんじゃないかと最近感じます。

例えば一人暮らし。
子供の頃当たり前だったことに一人暮らしをすることで気づいたりします。
帰ってきても明かりも暖房もついてない。ご飯だって自分で用意しないと出てこない。
掃除も洗濯もなにもかも…一人暮らしを始めた頃に感じた「自由」とは、こういう代償を払って得たものなんだと気づきます。
例えば友達同士の関係。
仲良くなって気心知れて、どんどん言いたいこと言える仲になって行っ……たと思ったときが一番危ない。
もしかしたら「なんでも言える」と思ってるのは自分だけかもしれません。
相手は実は我慢して聞いてて(こいつ…めっちゃ言ってくるな…感じ悪…)って思ってるかもしれません。
我々の世界でも、よく「緊張しなくなったらヤバイ」なんて言い方をします。
マイク前に立つこと、お芝居をすること、イベントなどで人前に出ること。
年数を経て経験を重ねて、毎日続けていることだから当たり前になってどんどん慣れていくけど、実はすごくトクベツなことをしているんだということを忘れないこと。
慣れることで進化は止まり、当たり前だったことが遠ざかっていく…ある種の”怖さ”みたいなものを常に感じていなさい、ってことですよね。
このように仕事も健康も人間関係もなにもかも…身の回りに当たり前にあるものすべてが、実は当たり前ではないんだ、ということに気が付かないと取り返しのつかないことになるかもしれないのです。

もともと人間はそういう生き物…というかいつまでも慣れずにビクビクしてたら前に進めないですから、慣れというのは必要な機能ではあるんですよね。
いつまでたっても慣れないヤツはそれはそれでもどかしいしおっかなびっくりやってるからミスが増える、とかだと使い物にならなかったりもしますがw
問題なのは「慣れすぎる」こと。ある、いる、できる、ことを当たり前にしてしまうことが問題なのです。


人間っておもしろいもんで、当たり前のものが当たり前じゃないんだ、って気付くと「なくならないで!」って言うんですよね。
どこそこにあるナントカっていう施設が閉館します、とか、発売からン十年経った馴染みのお菓子が生産中止になります、とか。
レバーが生で食べられなくなる、なんて時も「あと◯日で食べられなくなる!」とかいって爆発的に食べに行ってましたよね。
いや、生食が危ないから規制しようとしてんだから食べたら危ないんだってw
まぁレバーの場合は危険性もあるのでちょっと違いますけど、基本的には「当たり前すぎて特に感情も抱かない」ということが、様々なモノを消滅に追いやってる部分があると思います。
上のお菓子の件だって「生産中止です」って言ったら爆発的に売れたけど、そもそもはみんなが買わなくて売上が伸びないから生産中止になったりするわけでしょ?
そんなに好きなら普段から買っとけって話じゃないですか?
なくなってほしくないなら努力をすべきだと、そう思うのです…だから僕は仮面ライダーのおもちゃとかブルーレイを買うんだよ!w

ちょっと前に「反応ないからtwitterやめよっかな」ってつぶやきをしたんですけど、その時もたくさんの方から「やめないで!」というお声をいただきました。
僕の場合仕事の宣伝等に利用をしてるわけではなく、おもしろいと思ったことだったりみんなに知ってほしいと思ったことをつぶやくことが多いんですが、これっていっちゃえば声優としての仕事には全然必要ないことなんですよw
事務所にやれといわれてやってるものじゃないんで続けるもやめるも自由だし、だったら反応ないならやめよっかな、程度のことだったんですけど、そういうときだけ反応が来るっていうねw
前に知り合いが言ってて心に残ってるんですけど、メールなどの反響がだんだん薄くなっていってラジオが終わることになったんだそうで。
その発表を番組でした直後から「やめないで!」「なくなるなんて寂しい!」という反響がたくさん来て「それをもっと前からやってくれよ…」と思った、なんて話を聞きました。
特に仕事だとそうですが、こと数字で評価がくだされる世界では反響がすべてだったりして、『好きで聞いてるけど聞いてるだけ』だったりするとそのコンテンツはなくなってしまったりするのです。
仕事でなくてもなんかやったんなら評価して欲しい、って思うのは人間の普通な感覚だと思いますしね。


まぁ結局何が言いたいのかというと、当たり前を当たり前にするためには、「当たり前じゃないんだ」ということを理解した上で努力が必要だ、ということです。
『慣れ』は、当たり前を消してしまうとても怖いこと。
何かを失う前にそれに気付くことが出来れば、もっともっと大切な”当たり前”をつなぎとめる事ができるはずなのです。
考察 |

クマとオオカミ。

ちょっと前にテレビで「狼がかわいそう」みたいな話してたんですよ。


その番組では同じ動物で同じく人を襲う危険性もあるクマは、愛らしい動物として描かれるケースも多いが、狼は「送り狼」など悪い表現にも使われることがありイメージ的に損をしてる、みたいな話をしていました。
言われてみれば…クマのキャラクターってあんまり悪さするとかそういうイメージってないですよね。
金太郎のクマだってお馬の稽古させてくれるわけで人の味方だし、プーさんだってダッフィーだって害はなさそう。
くまモンだってリラックマだってテディベアだって、最近テレビでCMやってるパディントンだってどれも悪そうなやつはいません。
一方狼はといえば、赤ずきんを食べたり七匹の子ヤギ付け狙ってみたり童話の定番の悪役な印象が。
表現としても「オオカミ少年」といえばほら吹きのことを指したり、先述の送り狼だってそう。
キャラクターとしては強いイメージで描かれることも多いですけど孤高だったりとっつきにくかったりと一筋縄ではいかないイメージで描かれることも多いですよね。
そもそも狼モチーフのゆるキャラとか見たことあります?とっつきにくいってことがコレだけでも伝わってきますよね。

なんだ狼になんか恨みでもあんのかw

調べてみると牧畜が盛んだったヨーロッパ諸国なんかでは、家畜を襲う害獣として忌み嫌われていた過去があるんだとか。
一方日本のような農業が盛んな地域では農作物を荒らす鹿なんかを捕食してくれるため益獣として見られる傾向もあったそうで。
…それなのにニホンオオカミが絶滅してるってのも皮肉な話ですが。

とまぁこれだけ見てもクマに比べて狼がどれだけイメージで損してるかってのがわかるってものです。
すげーかわいそう。てかクマずるい。


といろいろ考えてみてふと思ったんですが、そもそも動物が使われてる慣用句ってロクなのなくないですか?
豚に真珠、猫に小判、馬の耳に念仏…なんもしてないのに「あいつらバカだから価値もわかんねぇだろ!」といった侮蔑の意味合いを感じてしまいます。
「あんな何処の馬の骨ともしれない男が!」馬が何したってんだよ!しかも馬単体でもなく骨だけってどういうことだよ!w
そもそも『犬畜生』なんて畜生ですよ畜生。畜生って「人に値しないケダモノ」って意味ですからね?別に犬じゃなくたっていいはずだし畜生を強調する目的でくっつけんくてもいいでしょうよ!
なんだ!?犬って字が大に似てるからか!?この大畜生が!!w

でいろいろ調べてて面白かったのが、動物は比較的虐げられる傾向があるのに魚とか虫には意外と優しかったりするんですよ。
「一寸の虫にも五分の魂」とか「虫の知らせ」とか。
魚の方だって「魚心あれば水心」とか「逃がした魚は大きい」とか。
なんかこの辺にも農業と漁業の国って感じとか見えて面白いな…とも思いましたが、やっぱりこうやってイメージ戦略で損してるものってけっこうある気がするんですよねー。

で昔っから感じてたのがコレですよ…『オタク』。特にアニオタ。
オタクっていうと発祥の問題なのかアニメ好きを指す傾向がありますけど他のジャンルの趣味の人だってオタクでしょ?
でもイメージが良いのは「マニア」とかいって差別化を図ってきやがるんですよ!
車好きのこと「車オタ」とか言わないでしょ?カーマニアって言うでしょ?
鉄道オタクはオタクっていうけど別に「鉄」とか「鉄ちゃん」とかいってちょっと可愛げのある言い方してくるんですよ!なんでアニメだけダメなんだ!!

まぁ最近はだいぶ優しくなってきた気がしますけどね…昔は「アニメが好き」だなんて人前で言おうもんなら隠れキリシタンの如き扱いを受けましたからね…主張してもいい時代になったのはとてもいいこと。

そしてもう一つ。
謂れ無き迫害を受け続けているジャンルがもう一つあります…それは「童貞」。
前も書きましたけど「童貞を殺す服」とかすぐ童貞の命狙ってくるでしょ?
表現だけだとしても異性に慣れてない弱者の命狙うなんてかわいそうだと思わないの!?マイナスイメージですよ!
そもそも男だったら絶対童貞の時期はあるわけで、「卒業」とか「捨てた」とか、まるで童貞が悪いことのように言うのにも問題を感じます。
自身も通った過去を侮辱するなんて意味がわからない!
は?童貞じゃなくなると偉くなるんですか?人として上のステージに立ったとでも言いたいんですか?は!?
で同じ初めてでも女性のはじめて…処女はとっても丁重に扱われるじゃないですか?
同じく異性に慣れてないんだからあったって良いはずじゃないですか、「処女を殺すシリーズ」!
なんで誰も作り出さないんだ!童貞は殺しても良くて処女はダメなのか!なんでだ!正解は「どっちも殺しちゃダメ」だろ!w


と憤りを感じてた時期があったんですが、おもしろい格言みたいなのを聞いてすげー納得したことがあったので最後にそれをご紹介しましょう。

「一度も破られたことのない砦は優秀だが、一度も攻めたことのない兵士は情けない」

ぅわ……ぅわぁ……(座り込む)
見方を変えればそういう表現も出来なくないな…と論破された瞬間でしたw


まぁどっちにしてもイメージで損することがなくなればいいなーと思いました、狼も童貞もねw

考察 |

赤青黄色

風呂場で見ていた防水のDVDプレイヤーがDVDを再生しやがらなくなりまして。
お風呂入る時にヒマを持て余す日々を送っていたんですが「じゃあ音楽聞いたらええやんけ」と気づきまして、最近は湯船に浸かりながら懐かしい音楽を聞いています。

まぁ僕の場合「懐かしい音楽」というとどうしてもアニソン特ソン厚めになるんですがw
そ!それ以外の曲ももちろんあるけどね!あるけどね!どうしてもね!!w
こないだもキン肉マンのキャラソン(この頃は声優さんがセリフ言って歌手の人が歌うという仕組みでした)流れたと思ったらせがた三四郎流れて、その後GEAR戦士電童の挿入歌を流した後最後は寺尾聰さんのルビーの指輪流れるというかなりカオスな、でも僕にとっては懐かしい順番でシャッフルして流してくれやがりましたw
…てかなんでルビーの指輪入ってんだw

そんな感じで自分でもなに入ってるかかなり忘れてる部分もあるので曲の流れ出しは軽いイントロドンみたいな状態。
聞き覚えあるし口ずさめるんだけどなんの番組の曲だか全然思い出せない、なんてこともしばしば。
それだけに思い出せると「やったぜ!」みたいな気持ちになるんですが、こないだギリギリ思い出せたのがアニメ『水色時代』のOPだったんですね。
まぁサビで「今は水色」とか言うんでそこまで行けばわかるんですけどその前に思い出せたっちゅ話ですw
水色時代とか学生時代に見てたわー、なんて思いながら聞いてたんですが、考えてみたら水色時代って「青春のちょっと前」って意味のタイトルなんですね、主人公も中学生くらいだった気がするし。
青の前だから水色、なるほどよく考えられたタイトルだわーと思う反面、なにから濃くなって水色を経て青になるんだと、考えだしたらきになりまして。
ちょっと今日はその辺の考察をしてみたいと思います。


生まれたばかりの頃はまだ何も知らない無垢な状態なわけですよね…つまりまっさら。無地の状態。
強いて言うなら白とか透明な状態からだんだんと経験を積んでいき…中学くらいで水色時代を迎えるわけです。
そして多感な思春期を迎えて行き青春スイッチオン、入る人は入るであろう反抗期へ。
…とここからいきなり色の表現が飛びまして、60歳の還暦を迎えると赤いちゃんちゃんこ着せられるわけです。

…青の後、飛びすぎじゃない?w

青春だなんだと人生を色で例える気があるならその後の人生にも色を付けてくれよ!
これはちょっと…考えないといけませんねw

ちなみに還暦で赤いちゃんちゃんこを渡されるのは赤ちゃんの赤、つまり人生のリセットを意味するとかなんとか。
「ひのえ午」とかで聞いたことのある十干十二支が60で一周することから人生2周目をお祝いする行事なんだそうで、生まれたばかりの”赤”ん坊に戻るという意味があるとか…諸説あるらしいんでこれだけではないんですが。
もっというと無垢な状態の生まれたての人間のことを「赤ちゃん」と呼ぶのも、『赤』という色に「なにもない」とか「まことの」って意味があるから、なんて説も。
赤の他人とかいうのはまったく関係ない人ですよー、って意味で赤が使われてるわけで、生まれたてでまさしく「なにもない」赤ちゃんにぴったりな色、というわけ。

…やべぇな、コレだと赤からスタートして水色に行かなきゃいけなくなったw
まぁ人生はグラデーションではないということでここは無視して行きましょうw

まっさらな「赤」で生まれた人間は、だんだんと経験を積んで中学くらいで水色になりました。
そして思春期…青春を迎える前にもう一色ありましたよね…そう中二病の黒歴史がw
その黒を超えるとようやく青…青春時代に突入するわけです。
楽しい大学時代を過ごし社会に出て、いずれは結婚…ということを考え出し、いい人と良縁に結ばれ結婚。
2人は子を成すわけですが…子ども作るってアレでしょ?エッチなことするんでしょ?
じゃあもう25〜30くらいの辺りはエロスの桃色だよ!桃色から赤が生まれるとかなんかおもろいしw
出産を終え今度は子育て。
慌ただしいながらも充実し、穏やかな時を過ごします…まぁ穏やかっつったら木漏れ日的なイメージで緑でしょうか。
その頃には会社内でもそれなりの地位になり、人生は1周目を終える頃合い。
髪にもだいぶ白髪が混じり出し、人生の終盤…グレーの時期に入ります。
これで完全に白になったらまっさらな無垢の色に。
再び赤ちゃんに戻るということで、おめでとう、赤いちゃんちゃんこをどうぞ、となるわけですね。

ということで人生は

赤→水色→黒→青→桃色→緑→灰色→白→赤

というループだということになりました。
ちなみに早めに結婚・出産を迎えないといつまでたっても緑が訪れず、ずっとスケベな桃色の時期が長引くのでご注意ください。
僕のようにな!w
考察 |

声と絵とそれ以外と。

数日前にtwitterで『ブログに書きます』的なことを書いたんで、今日はアニメと声優にまつわるお話。
嘘つきだと思われたくないんでね!w


日曜日にやってた『アメトーク!』のスペシャルで、昭和アニソンVS平成アニソンという企画をやっていました。

それぞれ芸人さんやタレントさんでアニソン好きの人が昭和と平成に別れ、それぞれのいいところをプレゼン、最終的にアニソンをよく知らないゲストさんにどっちが勝ちかを決めてもらうという…この勝敗って構図いる?とか思いながら見てたんですけど非常に面白く見させていただきました。
ホントアニソンって、作品によって雰囲気を変えるし、ジャズやロック、盆踊りみたいなのまでなんでも存在する音楽のるつぼみたいなとこあるんですよねー。
昭和に愛された歌は擬音が多かったり、必ずタイトルが入ってて子どもにもわかりやすい譜割りだったり。
対して平成は映像も合わせてカッコよく作られていたり、今第一線で活躍しているアーティストさんのデビューがアニメのタイアップだったりと、「あーわかるわかるw」なんて思いながら見てたんですが。

平成チームがプレゼンの中に「最近は声優さんも歌うんです!」というプレゼンをしてたんですね。
画面では実際ラブライブのライブ映像が流れたりして、声優業界の華やかな部分が切り取られていました。

…まず一個言いたいのは昭和の頃から声優さん歌ってるよ?ってことw
『ベムベムハンターこてんぐテン丸』の主題歌は主人公やってた藤田淑子さんが歌ってたし、『The・かぼちゃワイン』のEDは古川登志夫さんが歌ってたし。
今に始まったことじゃないんだよね〜、ってのは見ててツッコみたかったですねw

が言いたいのはそういうことじゃなくw
『アニメを語る上で、最近ちょっと声優さんのパワー強すぎない?』って話なんですよねー。声優やってる僕がいうのもなんですけどw

アニメを構築する1ピースとして大切なセクションではあるんですけど、個人的にはアニメーションってのはもっとたくさんのスタッフさんが関わっていて、皆が頑張ったからいい作品になるものだと思います。
打ち上げなんかでもよく話を聞きますが、アニメの企画が動き出すのって放送の2年前とかだったりするんですよ。
そっからスタッフ集めて、枠組み組んで、キャラデザとかが出来上がっていって最後の方に声優のオーディションがあって、やっと出番がやってくる。
僕らが関わるのは製作期間のほんの最後の方なんです。
たくさんの時間と愛をかけて作られてきた作品の、最後の一翼を担っただけにしてはちょっと褒美がデカすぎるな…みたいな気になるときがあるんですよねw

もちろんキャラクターが口を開けば僕らの声がするわけで、ピースとしては非常に大きいものだとは思うんですが、その前にその口を動かしているのはアニメーターさんたちで、セリフ考えてるのはシナリオライターさんで、監督がそのすべての指揮を執ってるわけでしょ?
もっとそっちにも注目して欲しい…!って思うんです。
そういう意味では特撮ってすごく良い世界なんですよ。
特撮ってやっぱり主演してたり出演してる人がフィーチャーされますけど、スーツの中に入ってるスーツアクターさんだとか、今回はシリーズ構成誰だからこういう展開になるんじゃないかとか、この話数の監督◯◯さんだからきっとこういう演出あるぞ・・・!とか、スタッフさんたちの個性を認識してるんですよねー。
どのピースが欠けても出来ないんだ、ってことが無意識下で刷り込まれてる感じというか。
そういう感じがもっとアニメ業界にも広がればいいな、と思うんです。

僕が声優の勉強してた頃はもう20年とか前なんでもう古い考え方になってしまってるのかもしれませんが、養成所の頃教えてもらってた恩師に「この中で声優になれたヤツがいたら、アニメ製作会社に菓子折り持って挨拶に行ってくれ」って言われたことがあるんです。
その頃にはもう声優を特集した雑誌なんかも出始めてる頃で、なんとなーく先生の中にもこれから声優という職業が目立つ時代がくるだろう、って感覚があったんだと思うんですよね。
でもそこで天狗にならず、地に足をつけて「アニメがあったから売れたんだ」ってことを忘れちゃダメだよ、ってことを言いたかったんだと思うんですが。
ホントにそうだなーと今でも僕は思っています。
コレ意外とわかりにくい部分なのかもしんないんですけど、僕らは声でお芝居してるじゃないですか?
でもその前に、絵がお芝居してるんですよね。
視覚的に絵が先にお芝居してくれてるから、僕たちは状況を把握して絵のお芝居に合わせたお芝居をしているんです。
普通の俳優さんはこの作業を自分の体を使って1人でやってるところを分業してるわけですね、だからこそもっとアニメーターさんたちにも注目して欲しいと思うのです。

『アメトーーク!』の中でも新しいルパンのOPが片目で見ると3Dに見えるだとか、トンでもない技術で昨今のアニメが作られてることが語られてました。
こういったすごい話がもっと世間に知られて行ったらいいのに…と思います。
そして僕ら声優も、アニメを構築する1ピースとしての誇りを持ちつつ、自分たちだけではアニメは作れないんだということを肝に銘じて、地に足つけて頑張っていかなきゃいけないなーと思うのです。



…クッソ堅い話になりましたが、アニメが好きだからアニメをもっと知ってほしいなー、って話ですねw

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