FC2ブログ

マジP!

間島淳司の日常をプロデュース!!

しあわせのかたち。

マジ卍ー、間島淳司ー。




……マンジま淳司ですw


いつものよーに先日街を全力徒歩で歩いてたんですが、歩いてるときって僕音楽とか聞くでもなく街の様子を見るのが好きなんです。
行く場所が限られてもいるので似通った場所を歩くこともあるんですが、歩くたびに知らなかったお店見つけたり、それこそ先日のブログじゃないですけど紫陽花発見したり。
自転車ほど早いと読めないけど歩きだと文字も読めたりするんでカフェの看板読んでみたりとかもしてます。
同じ道歩いててもちょっとずつ違うのが面白かったりするんですよね、だから歩きながらめっちゃキョロキョロしてんですけどw

もちろん一番見てるのは”前”なんで危なくはないので念の為w

といろいろとキョロキョロしながら歩いてて、ふと街にある地図の看板が目に入りまして。
最近は外国人観光客の方も多いからなのか、大きめの看板には地図記号の説明が書いてありました。
地図記号って学生時代に覚えさせられましたけど、わかりやすいのとわかりにくいのありましたよね。
郵便局とか学校とかお寺とか交番など、身近にあるものはともかくとして、果樹園とか針葉樹林なんて自然の多いとこ行かないと見ないじゃないですかw
なんやねんこのマーク…と思いながら覚えたもんです…あー懐かしい。
などと思いながら見てたんですけど、お寺のマーク…卍ってあるじゃないですか?
冒頭じゃないですけど昨今は女子校生発信で『マジ卍』なんつって脚光を浴びてますけど、そもそもはこの地図記号で初めて知るもの。
お寺といえば卍。わかりやすいしお寺さんはだいたいどの地域にもあるから地元の地図見ても見つかってみんな知ってるものです。
でも…そもそも論なんですけど。

なんでお寺が卍なの?w

学校で教わったしそういうもんなんだろうと思ってたけど、考えてみたらなんか不思議じゃないですか?
消防署だったら昔使ってた刺股と呼ばれる道具がデザインのもとになってたり、神社だって見たまんま鳥居のかたちだったりと、だいたいわかりやすい由来があるものです。
見かけないから覚えづらい、つってた果樹園とか針葉樹林だって、それぞれ果実のかたちだったりとんがった木のかたちしてたりして「なるほどね」と思えるものばかり。
…なのに卍?お寺なのに卍???どうして?????
神社の鳥居みたいに目に見えて「そうだよね」ってもんでもないし、お寺に行って卍のものがあるの意識したこともないし。
でも絶対なんか意味あるじゃないですか、地図記号なんてパッと見でわかんないといけないものに採用してるくらいなんだから。
ということで調べてみました。


そもそもこの卍という記号…というか文字というか。
これは実はとても歴史が古いもので、約一万年前のインドではすでに使われていたんだそう。
インドといえば?ヒンドゥー教だったり仏教だったりの発祥みたいなとこじゃないですか?お釈迦様だって天竺まで行こうとしてたくらいだし。
そんな仏教やヒンドゥー教の遺跡なんかにこの卍模様がいくつも遺されているんですって。

なんかしら宗教関連に関係がありそうだな、ということはわかりましたが、じゃあそもそもこのカタチなんなん?ってことですが。
卍はサンスクリット語でスヴァスティカ(स्वस्तिक)と呼ばれ、吉祥の印として読まれていたんだとか。
仏教でも「幸せ」とか「めでたい」といった意味で捉えられ、寺院仏閣ではよく見るといたるところに彫刻されてたりするんですって。
…知らないだけでお寺にちゃんと彫られてるんですね…w

さあお寺に関係があることはわかりましたがなんでこのカタチなのか?という疑問は残ります。
こちらも理由がきちんと記されておりました。説は2つ。

ひとつはヒンドゥー教から。
ヒンドゥー教にはヴィシュヌという神様がいます。
ヴィシュヌはブラフマー、シヴァと並ぶヒンドゥーにおける非常に重要な神格。
このヴィシュヌの胸の旋毛が卍みたいなかたちをしていた、という説。
もうひとつは仏教。
仏教で重要な神といえば…お釈迦様ですよね?まぁ神っつーか仏ですけどw
そのお釈迦様の胸に現れた吉兆の印(瑞相というそうです)のかたちが由来だと言われているんだそう。

どちらにしても神様の胸元に現れたとってもありがたーいかたちが由来、ということですね。

そんなありがたーい由来のあるものが、仏様がいる場所・寺院のマークになっていたというわけ。
調べてみると納得の理由がありました…いやースッキリした。


これからはマジ卍間島淳司とかいわれてイジられても幸せな気持ちになれそうです、マジ卍w

スポンサーサイト
考察 |

お寿司を貫け!

今日は昨日ちらっと触れた「お寿司の数え方」について触れてみようと思います。


お寿司一貫といえばいくつ?
と言われると、1個なのか2個なのかでけっこう意見が分かれるんじゃないかと思います。
2つで1セットのものの数え方って非常にレアな気がするんですが、他に挙げれば靴の1足二足、箸の1膳2膳などが挙げれれると思いますが、靴にしても箸にしても1つじゃ役に立たない『2つあるのが当たり前』『2つあることで初めて意味を成す』もの。
対してお寿司は別に1つだけでも食べられるわけで、そのあたりがお寿司の『1貫』をあやふやにしているんじゃないかと考えられます。
実際すしざんまいとかでお寿司注文すると一つずつの状態で出てきたりしますし。
2つで1セットじゃない状態で提供するお店もあるわけで、もしかしたら2つ1セットという感覚自体がなくなってきているのかもしれません。
でも回転寿司とかでも「マグロください」って注文すると「はいよ」つって2つセットで当たり前のように出てきますもんね…一体どっちなんw

そもそもでいえば、寿司自体の起源は東南アジアの魚の貯蔵法からはじまるんだそう。
川魚を保存するために米などの穀物と一緒に漬け込んで、米の発酵を利用して魚を長く保存する目的のものが『すし(馴れずし)』。
我々が想像している握り寿司は、いわゆる江戸前寿司のことで、名前の通り江戸時代の後期に生まれたようです。
ただその頃の寿司は今の握り寿司よりもだいぶ大きくて、コンビニのおにぎりよりもちょっと大きいくらいのサイズだったんだとか…
ちなみにこの頃は寿司のことを1貫2貫とは数えず、普通に1つ2つと数えていたそうです。

一説によれば、このデカめの寿司一個が、当時のお金の100文と同じくらいの重さで、その頃のお金って銭形平次を想像するとわかりやすいですけど持ち歩く時に真ん中の穴に紐通して持ち歩いたりしてたんだそうでして、その1くくりを100文でまとめてたために「この紐でくくった100文の銭と同じくらいの重さだね」っつーことで、1貫と呼ぶのが起源になったなんて説もあるようです…お金貫いてまとめてるんで100文で1貫ってことですね。
で、デカめの寿司ひとつが1貫…だったんですが、「さすがにコレでかくね?」ってことで、食べやすい大きさに分割…2つに分けたってことですね、した結果、1貫=2つという法則が生まれた、なんて話も。

また別の説では明治時代くらいの頃には俗に10銭を1貫と呼ぶ風習があり、当時は寿司の値段が1つで5銭くらいだったため、2つで10銭…つまり1貫だったことから、寿司2つで1貫、と呼ぶようになった、なんて説もあります。

2つで1貫説はこうやって生まれたということですね…ただコレがまたおもしろいのが、寿司を1貫2貫と数えるようになったのって実は昭和の終わり頃からなんですってw
文献なんかを見ると江戸時代も明治時代もお寿司のことを1つ2つって数えてるんだとか…意外と最近の文化だったってことですね。
そんな最近の文化に対して「起源は…」なんてもっともらしいことを言い、どっちが正しいんだ!?なんて考える事自体がもはやなんっセンスなのかもしれませんが…なーんか寿司のこと1つ2つって数えてるとものの数え方知らないアホな人みたいに思われそうでアレですよねw

ただこれで正しい知識が手に入ったことにより「寿司は1貫2貫でしょw」とバカにしてきたヤツがいたとしても論破出来るようになったわけです!
バカって言った方がバカなんですー!!w


間違いを生まないためにも、皆さんも気兼ねなくお寿司のことは1つ2つと数えましょう…なんだよ1貫って!!
1貫とかいうくせに定義が一貫してねえんだよ!!w

考察 |

当たり前じゃねぇからな!

人間にとって一番怖いことに気が付きました…なんだと思います?

お化け?ノンノン。そういうのじゃない。
虫?ノンノン。…それはかなり怖いけどキモいも入るからw
じゃあ…まんじゅう?それは落語の演目ですからー!!w

全て違います。一番怖いのは……『慣れ』です。


どんなことでも初めてがあって、続けるうちに次第に慣れていきますよね?
よく言われるのはスポーツなんかだと思いますが、慣れて余裕が出てきて油断した時にケガにつながる、なんてこと聞いたことありません?
恋人同士の別れなんかでもそう。
あんなにドキドキして毎日相手のことを考えない日はなかった付き合いたてのあの頃…があったのに、次第に相手が隣にいることに慣れて、当たり前になって、小さな歪が生まれて…いつしか修正できないほどのすれ違いに発展してしまったり。

上の2例は非常にわかりやすい『慣れ』のケースですが、この世の殆どのことはそうなんじゃないかと最近感じます。

例えば一人暮らし。
子供の頃当たり前だったことに一人暮らしをすることで気づいたりします。
帰ってきても明かりも暖房もついてない。ご飯だって自分で用意しないと出てこない。
掃除も洗濯もなにもかも…一人暮らしを始めた頃に感じた「自由」とは、こういう代償を払って得たものなんだと気づきます。
例えば友達同士の関係。
仲良くなって気心知れて、どんどん言いたいこと言える仲になって行っ……たと思ったときが一番危ない。
もしかしたら「なんでも言える」と思ってるのは自分だけかもしれません。
相手は実は我慢して聞いてて(こいつ…めっちゃ言ってくるな…感じ悪…)って思ってるかもしれません。
我々の世界でも、よく「緊張しなくなったらヤバイ」なんて言い方をします。
マイク前に立つこと、お芝居をすること、イベントなどで人前に出ること。
年数を経て経験を重ねて、毎日続けていることだから当たり前になってどんどん慣れていくけど、実はすごくトクベツなことをしているんだということを忘れないこと。
慣れることで進化は止まり、当たり前だったことが遠ざかっていく…ある種の”怖さ”みたいなものを常に感じていなさい、ってことですよね。
このように仕事も健康も人間関係もなにもかも…身の回りに当たり前にあるものすべてが、実は当たり前ではないんだ、ということに気が付かないと取り返しのつかないことになるかもしれないのです。

もともと人間はそういう生き物…というかいつまでも慣れずにビクビクしてたら前に進めないですから、慣れというのは必要な機能ではあるんですよね。
いつまでたっても慣れないヤツはそれはそれでもどかしいしおっかなびっくりやってるからミスが増える、とかだと使い物にならなかったりもしますがw
問題なのは「慣れすぎる」こと。ある、いる、できる、ことを当たり前にしてしまうことが問題なのです。


人間っておもしろいもんで、当たり前のものが当たり前じゃないんだ、って気付くと「なくならないで!」って言うんですよね。
どこそこにあるナントカっていう施設が閉館します、とか、発売からン十年経った馴染みのお菓子が生産中止になります、とか。
レバーが生で食べられなくなる、なんて時も「あと◯日で食べられなくなる!」とかいって爆発的に食べに行ってましたよね。
いや、生食が危ないから規制しようとしてんだから食べたら危ないんだってw
まぁレバーの場合は危険性もあるのでちょっと違いますけど、基本的には「当たり前すぎて特に感情も抱かない」ということが、様々なモノを消滅に追いやってる部分があると思います。
上のお菓子の件だって「生産中止です」って言ったら爆発的に売れたけど、そもそもはみんなが買わなくて売上が伸びないから生産中止になったりするわけでしょ?
そんなに好きなら普段から買っとけって話じゃないですか?
なくなってほしくないなら努力をすべきだと、そう思うのです…だから僕は仮面ライダーのおもちゃとかブルーレイを買うんだよ!w

ちょっと前に「反応ないからtwitterやめよっかな」ってつぶやきをしたんですけど、その時もたくさんの方から「やめないで!」というお声をいただきました。
僕の場合仕事の宣伝等に利用をしてるわけではなく、おもしろいと思ったことだったりみんなに知ってほしいと思ったことをつぶやくことが多いんですが、これっていっちゃえば声優としての仕事には全然必要ないことなんですよw
事務所にやれといわれてやってるものじゃないんで続けるもやめるも自由だし、だったら反応ないならやめよっかな、程度のことだったんですけど、そういうときだけ反応が来るっていうねw
前に知り合いが言ってて心に残ってるんですけど、メールなどの反響がだんだん薄くなっていってラジオが終わることになったんだそうで。
その発表を番組でした直後から「やめないで!」「なくなるなんて寂しい!」という反響がたくさん来て「それをもっと前からやってくれよ…」と思った、なんて話を聞きました。
特に仕事だとそうですが、こと数字で評価がくだされる世界では反響がすべてだったりして、『好きで聞いてるけど聞いてるだけ』だったりするとそのコンテンツはなくなってしまったりするのです。
仕事でなくてもなんかやったんなら評価して欲しい、って思うのは人間の普通な感覚だと思いますしね。


まぁ結局何が言いたいのかというと、当たり前を当たり前にするためには、「当たり前じゃないんだ」ということを理解した上で努力が必要だ、ということです。
『慣れ』は、当たり前を消してしまうとても怖いこと。
何かを失う前にそれに気付くことが出来れば、もっともっと大切な”当たり前”をつなぎとめる事ができるはずなのです。
考察 |

クマとオオカミ。

ちょっと前にテレビで「狼がかわいそう」みたいな話してたんですよ。


その番組では同じ動物で同じく人を襲う危険性もあるクマは、愛らしい動物として描かれるケースも多いが、狼は「送り狼」など悪い表現にも使われることがありイメージ的に損をしてる、みたいな話をしていました。
言われてみれば…クマのキャラクターってあんまり悪さするとかそういうイメージってないですよね。
金太郎のクマだってお馬の稽古させてくれるわけで人の味方だし、プーさんだってダッフィーだって害はなさそう。
くまモンだってリラックマだってテディベアだって、最近テレビでCMやってるパディントンだってどれも悪そうなやつはいません。
一方狼はといえば、赤ずきんを食べたり七匹の子ヤギ付け狙ってみたり童話の定番の悪役な印象が。
表現としても「オオカミ少年」といえばほら吹きのことを指したり、先述の送り狼だってそう。
キャラクターとしては強いイメージで描かれることも多いですけど孤高だったりとっつきにくかったりと一筋縄ではいかないイメージで描かれることも多いですよね。
そもそも狼モチーフのゆるキャラとか見たことあります?とっつきにくいってことがコレだけでも伝わってきますよね。

なんだ狼になんか恨みでもあんのかw

調べてみると牧畜が盛んだったヨーロッパ諸国なんかでは、家畜を襲う害獣として忌み嫌われていた過去があるんだとか。
一方日本のような農業が盛んな地域では農作物を荒らす鹿なんかを捕食してくれるため益獣として見られる傾向もあったそうで。
…それなのにニホンオオカミが絶滅してるってのも皮肉な話ですが。

とまぁこれだけ見てもクマに比べて狼がどれだけイメージで損してるかってのがわかるってものです。
すげーかわいそう。てかクマずるい。


といろいろ考えてみてふと思ったんですが、そもそも動物が使われてる慣用句ってロクなのなくないですか?
豚に真珠、猫に小判、馬の耳に念仏…なんもしてないのに「あいつらバカだから価値もわかんねぇだろ!」といった侮蔑の意味合いを感じてしまいます。
「あんな何処の馬の骨ともしれない男が!」馬が何したってんだよ!しかも馬単体でもなく骨だけってどういうことだよ!w
そもそも『犬畜生』なんて畜生ですよ畜生。畜生って「人に値しないケダモノ」って意味ですからね?別に犬じゃなくたっていいはずだし畜生を強調する目的でくっつけんくてもいいでしょうよ!
なんだ!?犬って字が大に似てるからか!?この大畜生が!!w

でいろいろ調べてて面白かったのが、動物は比較的虐げられる傾向があるのに魚とか虫には意外と優しかったりするんですよ。
「一寸の虫にも五分の魂」とか「虫の知らせ」とか。
魚の方だって「魚心あれば水心」とか「逃がした魚は大きい」とか。
なんかこの辺にも農業と漁業の国って感じとか見えて面白いな…とも思いましたが、やっぱりこうやってイメージ戦略で損してるものってけっこうある気がするんですよねー。

で昔っから感じてたのがコレですよ…『オタク』。特にアニオタ。
オタクっていうと発祥の問題なのかアニメ好きを指す傾向がありますけど他のジャンルの趣味の人だってオタクでしょ?
でもイメージが良いのは「マニア」とかいって差別化を図ってきやがるんですよ!
車好きのこと「車オタ」とか言わないでしょ?カーマニアって言うでしょ?
鉄道オタクはオタクっていうけど別に「鉄」とか「鉄ちゃん」とかいってちょっと可愛げのある言い方してくるんですよ!なんでアニメだけダメなんだ!!

まぁ最近はだいぶ優しくなってきた気がしますけどね…昔は「アニメが好き」だなんて人前で言おうもんなら隠れキリシタンの如き扱いを受けましたからね…主張してもいい時代になったのはとてもいいこと。

そしてもう一つ。
謂れ無き迫害を受け続けているジャンルがもう一つあります…それは「童貞」。
前も書きましたけど「童貞を殺す服」とかすぐ童貞の命狙ってくるでしょ?
表現だけだとしても異性に慣れてない弱者の命狙うなんてかわいそうだと思わないの!?マイナスイメージですよ!
そもそも男だったら絶対童貞の時期はあるわけで、「卒業」とか「捨てた」とか、まるで童貞が悪いことのように言うのにも問題を感じます。
自身も通った過去を侮辱するなんて意味がわからない!
は?童貞じゃなくなると偉くなるんですか?人として上のステージに立ったとでも言いたいんですか?は!?
で同じ初めてでも女性のはじめて…処女はとっても丁重に扱われるじゃないですか?
同じく異性に慣れてないんだからあったって良いはずじゃないですか、「処女を殺すシリーズ」!
なんで誰も作り出さないんだ!童貞は殺しても良くて処女はダメなのか!なんでだ!正解は「どっちも殺しちゃダメ」だろ!w


と憤りを感じてた時期があったんですが、おもしろい格言みたいなのを聞いてすげー納得したことがあったので最後にそれをご紹介しましょう。

「一度も破られたことのない砦は優秀だが、一度も攻めたことのない兵士は情けない」

ぅわ……ぅわぁ……(座り込む)
見方を変えればそういう表現も出来なくないな…と論破された瞬間でしたw


まぁどっちにしてもイメージで損することがなくなればいいなーと思いました、狼も童貞もねw

考察 |

赤青黄色

風呂場で見ていた防水のDVDプレイヤーがDVDを再生しやがらなくなりまして。
お風呂入る時にヒマを持て余す日々を送っていたんですが「じゃあ音楽聞いたらええやんけ」と気づきまして、最近は湯船に浸かりながら懐かしい音楽を聞いています。

まぁ僕の場合「懐かしい音楽」というとどうしてもアニソン特ソン厚めになるんですがw
そ!それ以外の曲ももちろんあるけどね!あるけどね!どうしてもね!!w
こないだもキン肉マンのキャラソン(この頃は声優さんがセリフ言って歌手の人が歌うという仕組みでした)流れたと思ったらせがた三四郎流れて、その後GEAR戦士電童の挿入歌を流した後最後は寺尾聰さんのルビーの指輪流れるというかなりカオスな、でも僕にとっては懐かしい順番でシャッフルして流してくれやがりましたw
…てかなんでルビーの指輪入ってんだw

そんな感じで自分でもなに入ってるかかなり忘れてる部分もあるので曲の流れ出しは軽いイントロドンみたいな状態。
聞き覚えあるし口ずさめるんだけどなんの番組の曲だか全然思い出せない、なんてこともしばしば。
それだけに思い出せると「やったぜ!」みたいな気持ちになるんですが、こないだギリギリ思い出せたのがアニメ『水色時代』のOPだったんですね。
まぁサビで「今は水色」とか言うんでそこまで行けばわかるんですけどその前に思い出せたっちゅ話ですw
水色時代とか学生時代に見てたわー、なんて思いながら聞いてたんですが、考えてみたら水色時代って「青春のちょっと前」って意味のタイトルなんですね、主人公も中学生くらいだった気がするし。
青の前だから水色、なるほどよく考えられたタイトルだわーと思う反面、なにから濃くなって水色を経て青になるんだと、考えだしたらきになりまして。
ちょっと今日はその辺の考察をしてみたいと思います。


生まれたばかりの頃はまだ何も知らない無垢な状態なわけですよね…つまりまっさら。無地の状態。
強いて言うなら白とか透明な状態からだんだんと経験を積んでいき…中学くらいで水色時代を迎えるわけです。
そして多感な思春期を迎えて行き青春スイッチオン、入る人は入るであろう反抗期へ。
…とここからいきなり色の表現が飛びまして、60歳の還暦を迎えると赤いちゃんちゃんこ着せられるわけです。

…青の後、飛びすぎじゃない?w

青春だなんだと人生を色で例える気があるならその後の人生にも色を付けてくれよ!
これはちょっと…考えないといけませんねw

ちなみに還暦で赤いちゃんちゃんこを渡されるのは赤ちゃんの赤、つまり人生のリセットを意味するとかなんとか。
「ひのえ午」とかで聞いたことのある十干十二支が60で一周することから人生2周目をお祝いする行事なんだそうで、生まれたばかりの”赤”ん坊に戻るという意味があるとか…諸説あるらしいんでこれだけではないんですが。
もっというと無垢な状態の生まれたての人間のことを「赤ちゃん」と呼ぶのも、『赤』という色に「なにもない」とか「まことの」って意味があるから、なんて説も。
赤の他人とかいうのはまったく関係ない人ですよー、って意味で赤が使われてるわけで、生まれたてでまさしく「なにもない」赤ちゃんにぴったりな色、というわけ。

…やべぇな、コレだと赤からスタートして水色に行かなきゃいけなくなったw
まぁ人生はグラデーションではないということでここは無視して行きましょうw

まっさらな「赤」で生まれた人間は、だんだんと経験を積んで中学くらいで水色になりました。
そして思春期…青春を迎える前にもう一色ありましたよね…そう中二病の黒歴史がw
その黒を超えるとようやく青…青春時代に突入するわけです。
楽しい大学時代を過ごし社会に出て、いずれは結婚…ということを考え出し、いい人と良縁に結ばれ結婚。
2人は子を成すわけですが…子ども作るってアレでしょ?エッチなことするんでしょ?
じゃあもう25〜30くらいの辺りはエロスの桃色だよ!桃色から赤が生まれるとかなんかおもろいしw
出産を終え今度は子育て。
慌ただしいながらも充実し、穏やかな時を過ごします…まぁ穏やかっつったら木漏れ日的なイメージで緑でしょうか。
その頃には会社内でもそれなりの地位になり、人生は1周目を終える頃合い。
髪にもだいぶ白髪が混じり出し、人生の終盤…グレーの時期に入ります。
これで完全に白になったらまっさらな無垢の色に。
再び赤ちゃんに戻るということで、おめでとう、赤いちゃんちゃんこをどうぞ、となるわけですね。

ということで人生は

赤→水色→黒→青→桃色→緑→灰色→白→赤

というループだということになりました。
ちなみに早めに結婚・出産を迎えないといつまでたっても緑が訪れず、ずっとスケベな桃色の時期が長引くのでご注意ください。
僕のようにな!w
考察 |
| ホーム |次のページ>>