言葉の魔術師2013-05-09 Thu 00:11
僕は声優。
声を、言葉を扱う職業です。 現場ではアクセントはもちろん『言葉遣い』や『文法的におかしくないか』などといった『日本語として正しいか』という話もよく話題に上がります。 一番あるのは…『てにをは』問題ですかね? 助詞ひとつで意味が大幅に変わってしまうこともあるのでけっこうシビアな問題だったりします…細かいニュアンスも作品を作る上では重要な要素ですからね。 だいたい全ては「聞いててわかりやすいか」ということを気にしながらやってるんですが、これってすごく声優的な考え方だと思います。 言葉はしっかりはっきり、わかりやすく伝えたい…みたいな。 そんな中。 ある意味対極な考え方を耳にしました。 『言葉を壊す』。 文字にしてもビクッとするような強烈な言葉…なんかの番組だかインタビューだかでタモリさんが言ってたらしいんですが。 言葉というものには力があります。 例えば『テレビ』って言われたら何を想像します? そう…テレビですよねw たった3文字の羅列でみんなが同じ物を想像する…これって実はスゴイことだと思うんです。 日本語が通じない海外に行って身振り手振りで説明する、ってのは言葉が通じない苦労話の代表例だと思いますが、言葉というのはこの『苦労』を取り払う画期的な発明なのです。 が、それだけに逆に怖い部分もある…ということ。 発明とはそれまで苦労していたものを『便利にしたい』『楽にしたい』というところから生まれるもの。 車が発明されたことで簡単に遠くまでラクに行けるようになったし、エレベーターはボタン一つで階段を使うことなく上の階に移動出来ます。 このような『移動手段の発明』は人類の生活を激変させる画期的で素晴らしい発明ですが、その裏側で『運動不足』というラクをしたことによる代償が生まれます。 今度はそのために『体を鍛える発明』が成されていくわけですがw つまり物事は表裏一体…良い面があれば悪い面もあるわけで、言葉にもそういうことが言えると思うのです。 言葉ってもう言葉そのものに意味があるので、それをつなぎ合わせることでしか新たな意味を作り出せない。 伝えるためには非常に便利な反面、説明してしまうと伝わらないものってのもあります。 すごく綺麗で感動的なものを観た時の感覚がまさにそれ。 こんなに便利に、疑うことなく言葉を使ってるのに一番大事な”感動”は「言葉に出来ない」と表現するんです。 ホントに美味しいものを食べた時に「美味しい」しか出てこない、みたいな。 感情を伝えようとすると途端に言葉が邪魔になる…とでもいうんですかね、美味しいのはわかるけど『どのくらい』というのが言葉で伝えられない。 伝えようとしてどんなに言葉を並べ立てても、逆に本当に伝えたい気持ちからは遠ざかっていく感じ。 ここがある意味『言葉の限界』なのかな、と。 逆に意味のない言葉で感動することもありますよね。 音楽のスキャットがまさにそれですが。 音楽に合わせて言葉を紡いでしまうと歌詞を聞いてしまうでしょ? 歌詞も確かにステキだけど、音楽の素敵さと歌詞の素敵さって別物だと思うんです。 スキャットはアドリブで意味のない言葉を音に合わせて歌うことで『人間の声を楽器のひとつにしてくれる』ステキな意味のない言葉なのです。 流行語にもなった大橋巨泉さんの『はっぱふみふみ』もそうですが、意味が無いからこそ人の心に届くことってのが確実にあるわけで。 言葉を使いこなす職業のものとしては対極にある考え方だけど、それだけに考えさせられることがあるというか。 言葉に踊らされちゃいけない。 言葉を使いこなすためには、使う側が正しく意味を把握して、最適なものを選べないといけない。 そのためには…『言葉を疑う』ところから始めるのもアリなんじゃないかと。 改めて『言葉の意味』を見つめ直すのも面白いのかな、なんて思いました。 スポンサーサイト
考察
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