思考能力2013-06-27 Thu 00:25
『雨が降る日に飴を買う』。
声優目指して勉強し始めた頃、アクセント練習のひとつとしてさんざん言った記憶があります。 平仮名で書いてしまえば同じ「あめ」でも、「あ」の音を高くして読むと空から降る『雨』に、「め」の音を高くして読むと食べ物の『飴』に…といった具合。 同じ文章に出てくれば違いもはっきりするしわかってなかった人にもわかりやすい良い文章ですね。 ただこの文章、アクセントを覚える目的だとわかっていれば別になんてことない文章なんですが…もし知らなかったと想定するとこう考えられますよね。 『……なんで?』とw 雨が降ってきた。飴を買った。…何故? たまたまその日に起きたことを報告しているんだとしても、飴を「買った」ではなく「買う」ということは過去の出来事ではなく単純な事象の説明、もしくは未来にする行動の一つであると推察されます。 となると…『雨が降る日に飴を買う』ことで、何かが起こる…そう考えるのが自然です。 雨が降る日に飴を買うことは、物理的には可能です。 傘をさしてコンビニかどっか飴を取り扱っているお店に行き、飴とお金を持ってレジに行けば買うことは難しくない。 がことさら格言のごとく『雨が降る日に飴を買う』と言ってくるからには、そこになにか日常ならざる出来事が待っていないと、それこそ「なんで言ったんだw」となってしまいます。 晴れの日ではなく雨の日限定であることから、飴を買うことで雨に関する何かに変化が生じる…こう考えてみましょう。 降りしきる雨の中わざわざ外に出て飴を買いに行く労力、これを強いてまで買いに行くということは……よほどの、飴好きw がそんなに雨が好きで毎日食べたいなら買い置きがなくなるとは考えにくいし、だったら晴れの日スーパー寄った時にでも買いだめしていることでしょう。 ということはもっと特別なこと……そう、雨の日に出かけねばならないほどに特別なこと。 !わかった!! 飴買うと雨が止むんだ!!w 「あら」 「どうした母さん?」 「外見てください、雨ですよお父さん。洗濯物取り込まなくっちゃ」 「これから出かけにゃならんのだがな…仕方ない、おいたかし」 「なぁにー父さん」 「お前ちょっと飴を買って来なさい」 「えーやだよー、雨降ってきてんじゃーん」 「だからだろうが。ほら、お小遣いやるから」 「ちぇ、わかったよ…でも奮発してよ!あそこ遠いんだから!」 「わかったわかった。母さーん、たかしが行ってくれるから洗濯物大丈夫だぞー」 「あらそうなんですかー?ありがとね、たかし。うふふ」 「…!別に…母さんのためじゃねーし…行ってきます!!」 みたいなw アホな話を考えだしてしまいましたが、何が言いたいのかというと『考えるのって楽しいよ』ということです。 ラーメンズにも似たようなコントがありまして『風と桶に関するいくつかの考察』というタイトルなんですが。 ことわざ「風が吹くと桶屋が儲かる」ってものに対して感じた疑問を、面白おかしく解釈するといった内容。 最終的には商店街のバンド紹介で「桶屋がボーカル」ってことにまでなるというぶっ飛び展開なんですがw ここまで飛躍して考えられることがまず素晴らしいな、と思うのです。 ブログの記事でもプライベートで遊んでてもそうなんですが、最近なにかわからないことに直面するとすぐ「なんでですか?」と聞いてくる人が増えている気がしています。 わからないことを知ろうとする心は素晴らしい。 がすぐに答えを求めるのはつまらないと思うのです。 自分なりに考えて、何らかの答えを出す。 仮に聞くんだとしてもこのプロセスを挟むことで人間としての厚みが増していって、深みのある重厚な人間になれるのではないかな、と思うのです。 それがどんなにくだらない事でも…いやくだらない事なら尚更、いくつかのアプローチで世の中を見てみるというのはとても楽しい事。 ラーメンズにしても池上彰さんやマツコ・デラックスさんにしても、僕が「この人いいなー」と思う人ってだいたい自分の考えを持っていて、生み出せる人なんですよね。 同じ器の中により大きなものを感じる人物…それこそが魅力じゃないかな、なんて。 考え方ひとつで自分が変えられるんだとしたら…いっちょ、自分を大きくしてみませんか? スポンサーサイト
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