正義の在処2015-06-06 Sat 00:11
オーズで魂滾ってる間島さん。
今日はちょっとそこから派生して『正義』とはなにか、ということを考えてみたいと思います。 正義…ざっくりいえば”正しいこと”ですよね。 悪いことと正しいことだったらそりゃあ正しいことをする方が断然良いのは明白。 じゃあその『正しい』ということはなんなのでしょうか? 人が人を傷つけることは、誰が考えても”悪”ですよね。 最近ではないようですが僕らが子供の頃は学校の先生にシバかれてる不良生徒とかよく見かけたもんですが、コレも先生が生徒に手をあげている状態。 果たしてこれは”悪”なのでしょうか。 もちろん殴らずとも言葉と気持ちを尽くして説得することができれば一番なんですが、世の中どれだけ尽くしても伝わらない時もあります。 愛のムチ、という言葉を使うと少しずるい気もしますが、怒りや感情に任せて手をあげるのではなく、悪を正す思いのこもった拳…そういった教育、躾はあるように思います。 ボクシングの世界チャンピオンは相手を殴打し殴り倒すことでチャンピオンになります。 自分も同じ条件であり相手も自分も体中傷だらけ、果たしてこれは”悪”でしょうか。 スポーツはルールに則って行われているから正義も悪もない、といわれればそれまでですが、人を傷つけることが悪で、悪いことはしてはならないんだとしたら、人を殴るスポーツなんて悪はなくなるべき、となるはず。 単純に人を傷つけること=悪 とは言い切れない部分があるようです。 翻って正義とは相手を傷つけないこと、ということではないのかもしれません。 では”嘘をつく”ということは悪でしょうか。 ホントの情報に巧みに嘘の情報を混ぜ、相手を騙して金品を盗み取る…そのような犯罪もあるかと思いますが、これは間違いなく悪のはず。捕まってるくらいだし。 オレオレ詐欺なんかはまさにこういうのの典型ですよね。 でも世の中には人を傷つけないためにつく『やさしい嘘』があるともいいます。 ちょっと前の『仮面ライダードライブ』でもチェイスが霧子に「剛は記憶を操られていない」と嘘をついていました。 すべては霧子に心配させないための彼なりの不器用な嘘でしたが、この嘘は悪なのでしょうか。 どうやら”嘘をつく”ということよりも、それによって誰か人の心を傷つけることが、悪とみなされるようです。 一度初心に帰って『正義』という言葉の意味を調べてみましょう。 正義とは。 「倫理、合理性、法律、自然法、宗教、公正ないし衡平にもとづく道徳的な正しさに関する概念である。」(Wikipediaより抜粋) …イマイチピンと来ませんがw どうやら正義とは最後に書いてあるとおり『概念』であるようです。 概念ってことはですよ?人間が想像(創造?)する感覚的な何かなわけで、非常に曖昧で判然としないもの。 正義とは感覚的で曖昧なものであることがわかります。 自分正義、なんて言葉があるように、概念である”正義”は人によって異なったり、何らかの基準がないと測ることは出来ないもののようです。 その何かとは。先ほどの中で言えば”道徳的な正しさ”という部分になります。 人間が社会生活を営むにあたり、大多数が健やかに穏やかに生きられる考え方。 共通認識みたいなものですね。 いちいち考えずとも普通に生きていれば当たり前に感じる正しいという感覚。 これに則ったものがいわゆる”正義”ということになります。 この世で最も正義のあり方が問われる場所は、僕は裁判所だと思っています。 犯罪や揉め事が起きた時、正しい誰かの判断に委ねる必要があって、その正しい判断を下せる場所が裁判所。 人が人を裁くのですからそこに在る概念は絶対的に正しくあらねばなりません。 そんな裁判所には剣と天秤を持つ正義の女神の像が象徴として置かれています。 剣は力、天秤は正義を意味し、「剣なき秤は無力、秤なき剣は暴力」であることを表しているんだとか。 力がなくては正義を執行することは出来ないが、正しい心を持たない力もまた悪である。 …まんま昨日の『オーズ』のお話ですよね。 突然目の前に現れた”力”に魅せられ、正義の心を欲望で覆い隠されてしまったお父さんは、口では「悪は許さない」と言いつつも暴力を、悪を執行してしまっていたのです。 なんとなくですが、正義の女神が持つ正義の象徴が秤であるように、正義とは貫くものではなく測るものなのではないでしょうか。 自分の中にある正義と、社会規範に基づく正義。 ふたつをきちんと秤にかけ、客観的に正しさを測る事ができる心の有りよう。 それこそが正義なのではないでしょうか。 正しいことをするのは大変で難しいかもしれないけど、正しいことを知り、測ることなら誰にだって出来るはず。 振りかざすのは秤ではなく剣…正義ではなく力。 正義を振りかざしているつもりでも、振りかざしているのは力なのです。 心にいつでも秤を持って、社会に、世間に、何より自分に恥じないよう生きることが、本当の正義に繋がるのかもしれませんね。 スポンサーサイト
考察
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