マジP!

間島淳司の日常をプロデュース!!

嗚呼、諸行無常。

みんな大好き灌仏会。

…覚えてます?お釈迦様の誕生を祝う行事の名前ですよ〜?
そこからふとした思いつきで調べ始めたお釈迦様の人生。
昨日はその半生・菩提樹の下で悟りを開いた35歳の頃までをご紹介しました。
お釈迦様が没されたのは80歳の時のことらしいのであと半分ちょっと、時間の許す限りお話していこうと思います〜。

ちなみに言っておきますが、実家は仏教でしょうけど僕は無神論者ですw


遂に悟りを開いたシッダールタこと、ブッダ。
彼はしばらくその余韻に浸るかの如く木の下で瞑想を続けます。
そこで「この悟り、まだ悟りを開いてない人に教えてあげようか…」と悩み考えますが、結局は教えない道を選びますw
理由も明確で「言葉で聞いてもみんな悟れないだろうから、言うだけ無駄だからやめよう」というものw
ところがそこに梵天様が現れて「頼む!頼むって!な!?説こうぜ教え!!」「イヤですだって無駄だもん」というやりとりを3度も繰り返し、「そんなに言うなら…」と、自らの悟りの確信を得るために、とかつてともに修行をした5人の仲間に教えを説くことを決意します。
…たしかにその5人なら、一般の人よりは話して聞かせたら悟り開ける可能性ありそうですもんねw

街を移動し彼らに会うと、ブッダは5人を前にお話を始めます。
ざっくり言うと「この世の真理は苦しみだけど、それには原因があって克服できるよ〜?」ということと「これが”正しい修行の仕方”とその考え方だ!」みたいなこと。
苦行がイヤで逃げ出したと思ってる5人は最初はバカにしていたものの、次第にブッダの話に感銘を受け、なんやかんや皆して悟りを開きました。
ちなみにこの時の説法を、5人以外にもシカが聞いていたとされており、奈良でシカが大事にされてるのはそういう理由からなんだよ、ということも書いてありました。
どうりで…シカめ、盗み聞きして徳を得るなんてずるいぞw

その後悟りを開いた6人は教団を結成、教えを説いてまわり、その教えに他の宗教者たちも賛同、自らの信者もまるごと信者に、ということを繰り返していくうちにすぐに教団は1000人を超える規模に。
教えは国を飛び越え近隣諸国にまで広まり、お金の援助を申し出る信者なんかも出てきて、わずか5年ほどで「ちゃんと戒律とか作らないとマズイよね」ってくらい大きな集団になっていきます。


がここからの人生は、亡くなる直前・79歳の頃までの記述がほとんどないそうで。
39年ほど歴史を進めてみたいと思います。

ブッダは大勢の弟子を連れ、最後の教えの旅に出ます。
街を転々としながら弟子たちによる質問に答え、戒めを守ることの大切さ、亡くなった人々の運命、悟りに至るための4種の観念、仏教を志すものが修めるべき基礎的修行項目といったことを説いていきます。
この後大きな病にかかりますが、この病は無事完治。
最後の旅へと赴きます。
たどり着いた街でも同じように教えを説きながら過ごしていた時、突如激しい腹痛に襲われ倒れ、沙羅双樹という樹の元で横になると、そのままこの世を去りました。
原因は…まさかの食中毒。

その後ブッダは火葬され送り出されますが、遺された弟子たちが「ブッダの教えが誤って独り歩きしないように」と、500人の弟子たちが集まり記憶を元に編纂され、それが今の経典につながっていく…と、こういう話だそうです。


いかがでしょう、ブッダの人生…思っていたより神々しくなく、神であるというよりは人の延長、といった印象を受けるのは僕だけでしょうか。
母の脇から生まれ生まれてすぐに立って歩いて喋った赤子が、最期食中毒で亡くなるというのも…やはり人である感じがしてとても身近な感じがします。

そして釈迦がたどり着いた悟りの境地、それがなんであるかということを簡単にいうならば「執着を捨てろ」ということのようです。
この世の物事はすべて移ろいゆくのに、人間という生き物は様々なものに執着するから、変わらないことを願い、変わらないと思い込む。
執着を捨て、すべてをあるがまま受け止めることでしか、苦しみから解き放たれることは出来ない。
平安とは”苦しみから解き放たれること”でしか手に入れられないものであるからこそ、惑わされることなく現実を直視し、執着を断つことこそが悟りへの道である、と。
『諸行無常』ってのがまさにそのことを表しているそうですが、この『無常』を受け入れることで、人は真の意味で自由になり、輪廻の外に出ることさえも可能になる…とかなんとか、そんな考えが仏教の教えのようです。

また『色即是空、空即是色』という言葉に出てくる『空』という言葉。
コレも「からっぽ」という意味ではなく、いうなれば”すべて”という意味合いがあるようです。
人はすべてのものとつながっていて、それは身近な親、友達といった人だけでなく、生きとし生けるもの、口にする食べ物、植物や日光や水、果ては宇宙のすべてのものとつながり、すべての物質と溶け合っている、という考え方を、仏教の世界では『空』という一文字で表現するのです。
この世の全ては”空”であり、すなわちこの世にあるものはすべてあなたと同じものなんだよ、という考え方。
地球どころか、宇宙まるごと一つの生命体である、とでもいうべき考えが、ブッダがたどり着いた真実の一つの姿なのです。


さあ、花まつりから始まった仏教の世界の旅。
いくつかの文献を辿りながら僕なりにわかりやすく書き直しているので、多少ムチャクチャ書いてあるところもあるかもしれませんが、大筋では間違っていないはずですw
どんな事柄でもですが、そのすべてを知るということは非常に難しいもの。
でもその一端を、わかりやすい形でならスッと入ってきて興味を持てたりするんですよね。
冒頭で無神論者と書きましたが、今回調べて仏教というものの根底にある教えは間違っていない素晴らしいものだと体感することが出来ました。
花まつりには間に合いませんでしたが、何かの折にお寺さんに行ってありがたい話を聞く、なんて選択肢も悪くないな、と思えたことが、今回得た最大のプレゼントかもしれません。


さあみんな、レッツ・仏教w(ふざけずにはいられない悟りから最も遠いこの位置よw)
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