エロスの真髄を見た2017-10-21 Sat 00:22
タイトルからおわかりの通り今日は久々にエロスの話をしたいと思います。
テーマはそう……『乳首』だw 先日録画した『マツコ・有吉のかりそめ天国』を観ていた時のこと。 視聴者からの投稿で「ハリウッドセレブが乳首が見えてるドレスを着てるのってどう思いますか?」という質問をしてきました。 なるほど確かに海外の大きなイベントごととかでハリウッドの有名な女優さんたちが集まってる映像を見ると、ごく稀にではありますが何人かは「え、そのドレス大丈夫?」みたいなのを着ている方を見かけます。 もっといえばトップモデルのファッションショーなんかでは、もう乳首見える前提の服を着て、丸出しのまま平気な顔してランウェイを闊歩している姿なんかも見かけますよね。 番組では「でもそういうのって興奮しないんだよね」という話になってました。 結論も出てましたけど詳しくは番組でっつーことにして、こっからはそれを観て感じた僕の感想をお伝えしたいと思います。 まず最初に。 乳首ってエロいじゃないですか?w 遥か昔人間がまだ4足歩行をしていた頃は、異性に「私は魅力的な女よ」とアピールをするためにお尻が役に立っていたそうですが、時は経ち二足歩行になると視界からお尻は遠のき、その機能は発揮されなくなります。 そらそうですよね、パッと視界に入ってくるところの方が別のことしてても「おっ」となり、よりたくさんの異性の目を惹きつけることが出来るわけで、人間はその結果おしりの次におっぱいを魅力的な部位として進化させました。 二足歩行で、面と向かって喋っていても無理なく視界に入るし、非常に合理的なシステムだと思います。 さらに現代。 乳首に限らずおっぱいなんて部位は普段隠されてる部位で、そんなひた隠しにしているものが見えるってすげー特別なことだと思うし、そこに喜びを見出すわけです。 覆うことでさらに価値を上げた、とも考えられるわけです。 本来の目的でいえば赤ちゃんにミルクを与えるため、物心つかない赤子でもすぐに見つけられるように、といった意味合いでああいった形状をしていたんでしょうが、進化の過程で異性を興奮させるような仕組みに変化していったと考えると、性的な意味でなくとも非常に興味深い器官であるわけですが、では何故ランウェイで乳首を晒して歩いているファッションショーのモデルさんは性的な感覚を受けずに見ることが出来るのでしょうか。 その大きな違いは乳首そのものではなく、恥じらいという日本独特の文化にあるのではないでしょうか。 ハリウッドセレブなんかがドレスから乳首見えてても気にしなかったり、かなりきわどいドレスを着た結果途中でポロリしてしまってもそういったデザインのドレスを着るのをやめないのは、やはり恥じらいの問題なんだと思います。 ハリウッドセレブに限らず、海外ではノーブラタンクトップで胸ポチしてますけど…?みたいな人も多数いますし、15年くらい前に用事があって原宿の街歩いてたら向こうから白のTシャツに思いっきり胸ポチしてる外国の方を見かけて度肝を抜かれた記憶がありますw さらにはヌーディストビーチなんかもあるように、ただ単に裸である、ということは海外においては性的な感覚は低いのかな、と思います。 もちろんTPOはあるし、テレビなどの誰でも観られる環境においての規制は海外の方がしっかりしている部分もあるかとは思いますが、環境が整っている場合においては非常に寛容であるように見受けられます。 そこには…やはり『羞恥心』というものが関わってくるように思うのです。 日本人の感覚の中で大きいのは「露出が多いと恥じらいがない」というものがあると思います。 かつてビキニが日本に入ってきた際にも一般の人はやはり敬遠したでしょうし実際入ってきた当時はなかなか浸透しなかったと聞きます。 時を経て日本にも海外文化が浸透して、今でこそビキニを着てる女性をプールや海では見かけますが、もともとはそういう文化が根づいている国なのです。 肌でさえダメだった国がおおらかになったとはいえ、やはり今だに乳首に関しては恥じらいが抜け切らない…つまりはそういうことなのです。 『乳首が見えるのは、恥ずかしい』 この意識がある限り、見えてしまうと恥ずかしいからそこに羞恥心が生まれるのです…。 一方海外ではこの感覚が薄いんだと思います。 街中でいきなり放り出すのはもちろん違いますが、例えばヌーディストビーチなら周りにも同様の方がたくさんいるわけで、それが当たり前になってしまえばエロスにはならないのです。 アフリカの部族なんかでもそうですよね、衣服を纏う習慣がなくそれを当たり前として受け入れている方たちを見ても、違う文化圏にいる僕らにとってもそれはエロくは感じません。 つまり。 『乳首』がエロいのではなく、『乳首見られて恥ずかしがってる人』がエロいのです。 そんなような話を番組でもしてたんですが、まー目からウロコでしたねー。 若い血気盛んな頃はもう見れりゃなんでも良い!みたいな時期もありましたが、だんだんと見えてることよりも見えてることで恥ずかしがってるところにエロスを見出すようになる。それこそが心理だったんだと気付かされました。 見えてもいい部位でも恥ずかしがってたらなんか「おっ」と思うこともありますし、なんだかんだ人間視覚よりもメンタルを見ていて、相手の心が動いたのを感じてこちらの心も動くんだな…と。 ということでこれからのエロスは『恥じらい』ですよ。 見えてなくてもいいから恥じらいを持って撮ったであろう写真をこそ至高。 それこそが真にエロい写真といえるのです…!! 皆さん。 最近お気に入りのエロサイトがなくなってしょんぼりしてる僕を、この理論で撮った写真で癒やしてください(結局そこかぃw) スポンサーサイト
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