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マジP!

間島淳司の日常をプロデュース!!

人を笑わせてみよう!

たまにはマジメなことでも書いてみようかと思います

書かないと…僕が声優だってこと忘れるでしょ?w



先日とある現場で、運動会のようなシーンにアフレコをするという瞬間がありました。
運動会というかまぁ、徒競走のようなレース的な感じだと思ってもらえればだいたい間違いないかと。
作品のテイスト的にはキャラの感じも名前からして既存の人物をモジッたギャグ感あふれる感じの…アレです、一堂零とか出瀬潔とかみたいな、奇面組的名前の感じ。
つまりはまぁコメディだよね、という感じのテイスト。
この日はメインでレースをする人たち以外にレースに参加している人、というキャラではじめましての方がいらっしゃってました。

アフレコの手順としては普通に、まずテストをしてそれから修正、本番を録って直し、という流れでまずはテスト。
前述の通りコメディテイスト強めに見える台本だったので、はじめましての人もそれを感じ取っているのか、台本上セリフのないところに荒めの息芝居を入れてみたり、かなり強めに笑いを取りにいくお芝居をされてました。
別に聞いててもなんらおかしなところはない感じ…だったんですが、テスト後の修正で音響監督さんが「そこはそんなハデにやらなくて大丈夫です」と。
「このシーンは笑いに見えるしそうなんだけど、競ってる本人たちはマジメにやってるのが視聴者から滑稽に見える感じにしたい」という意向だったんですが、コレ聞いてホント芝居って難しいな…と改めて思ったんですよね。

ひとくちに「お芝居」というと、パッと浮かぶのはやはりお芝居をする人、役者さんを想像するかと思います。
別にそれが悪いとかおかしいとかいうわけではなくいいんです、それは普通なんで。
ただここで、特に我々お芝居をすることを生業とする者が考えなければならないのが、「受け手」と「指揮者」のことなんですねー。
上の話でいえば受け手は視聴者、指揮者は音響監督。
指揮者っつっちゃったんですけどあえて料理に例えますがw
料理の場合でいえば、視聴者はお客さん、音響監督は料理人、そして僕ら役者は料理の材料にあたります。
料理人はお客さんの注文に合わせ、それに適した材料を適した形に切ったり味付けしたりして、ひとつの料理を完成させます。
その料理を食べてお客さんに「美味しい」と感じてもらうのはもちろんですが、そこにある種の隠し味みたいなものが入っていると「また来よう」と思ってもらえる名店になっていくわけですよね。

話を芝居に戻しまして。
お客さんの注文が台本に書いてあるセリフやト書きで、音響監督はその書かれている役にピッタリな人を配役し、実際にテストでやってもらった後に”調理”するわけです。
上の話でいえば『コメディなんだけど、本人たちは真剣にやってるのが逆に滑稽』という部分が隠し味になります。
平たく言えば演出ってことなんですが、そうすることでパッと見た脚本の印象よりもより深くシーンが創り上げられていくというか…いくら素材が美味くても、使いどころやかける調味料間違えたらその美味しさが生きてこないというか。
音響監督の真髄を見たような気がしました。

でまたこの件で感じたのが、笑いの難しさ。

今回のケースでいえば、笑いを取るシーンで「笑いを取りに行かないで」というディレクションをしているわけです。
でも結果笑いは取れる、という判断のもとこのディレクションをしているんですよ…え、なにこれ矛盾?それとも哲学?とか思いません?w
でもソレこそが”笑い”なんですよね。

よく役者仲間とお芝居における笑いの話をする時に『コメディ』と『バラエティ』の違い、みたいな話をします。
僕ら役者がやるのがコメディ。お笑い芸人さんたちみたいなプロの笑いを取る人たちが作り上げるのがバラエティ、だいたいそんな認識だと思ってください。
お芝居にはお話の流れがあって、キャラクターがそこに生きていて、その流れとキャラクターにそって笑いを取る、という作業が必要になります。
その枠から飛び出してしまうと世界観が保てなくなってしまうので。
ただ笑いとは”裏切り”であるという側面も持ち合わせてまして…流れを崩さない程度に”外す”ことで笑いを取ることもあるわけです。
ここまではコメディの範疇。
バラエティというのはテレビのバラエティ番組みたいな感じで、誰かがボケたらそれにツッコんだり乗ったりして、流れ自体もその場で作り上げていくもので、登場している全員が「未来の流れを知らない」状態で作っていくわけです。
誰かが前に出たらより立つように周りでフォローしたり、目立ってない人がいたらその人に流れが行くように組み立てたりと、流れ自体から全員で作っていくわけです。
まぁこれもプロの芸人さんたちがやるからきちんと面白く成立しているだけで、素人みたいな人たちがマネごとしようとすると誰かが悪目立ちしたりヘンな沈黙が生まれたりと、上手くいかない非常に難易度の高いことなんですが…たまーにコメディ作ろうとしてるのにバラエティのやり方で入ろうとしてくる人がいるんですよねー。
前述の通りアレはプロの芸人さんたちだから成立してるものだし、コメディはそもそも流れが決まってるわけです。
そこで流れを無視して自分だけ面白くなろうと突拍子もないことしちゃう人がいたりして、ここのバランス読み間違えるとせっかくの面白い本も台無しになってしまうこともしばしば。
生徒Bがめっちゃ意味深な芝居してたらおかしいじゃないですか?wつまりはそういうこと。
コメディの世界でバラエティやろうとすると大失敗してしまうのです。

あとコレも見ていて「笑いって難しいな…」と思うことがありまして。それが『ツッコミ』。

バラエティの世界にもコメディの世界にも存在するものではあるんですが、コレって僕、バラエティの世界からやってきた異文化コミュニケーションだと思うんですよね。
僕はバラエティ番組が好きでよく見てるからコメディ作品で「なんでだよ!!!!」とか書いてあってもすんなり受け入れられるんですけど、あまりコメディ作品に慣れてない役者さんからするとわからないらしいんですよね。
そういった方が現場で音響監督さんに「この「なんでだよ」のセリフはどういう感情で言えば…」と質問をしてる姿をよく見かけます。
それを見ていていつも「意味なんてないのに…」と思っちゃうんですよw
バラエティ…というか笑いの基本って、「誰かを笑わせること」じゃないですか?めっちゃ当たり前の話ですけどw
コメディの場合は役があって流れがあるからそこに沿ってないとダメなんですけど、バラエティの場合はそれらがなく、等身大の自分が目の前のお客さんを笑わせるという側面が強いです。
つまりは「目の前にいるお客さんに対して表現をするもの」なのです。
ツッコミもその世界から来たものだから、目の前でボケた役にかけても意味がないし、怒るとか笑うとか役自体の感情もどうでもよくて「今面白いとこですよ〜」という記号を視聴者に投げかけるものなんですよね。
だから僕の中では「喜・怒・哀・楽・ツッコミ」という五大要素がコメディにおける心の動きだと思ってます。

というかもっといってしまえば、お芝居自体も僕は全て「お客さんに振るもの」だと思っています。
僕らがどれだけ役になりきって感情を理解して芝居をしようと、それが見ている人に伝わらなくては意味がありません。
役になりきることでそれが上手く表現できる人はそれで良いですが、そうじゃなければ「この役は今こういう感情です」ということをお客さんに伝えることこそが大事だと。
何故泣いているのか?それは目の前で大切な人が命を落としたから。という説明を、涙混じりの声で名前を呼ぶことで表現するわけです。
僕らは分業で声だけ担当なので、極論実際泣いてなくても泣いているように聞こえればいいわけですよw


とまぁ最後は多少乱暴な意見になりましたがw
笑いもお芝居も突き詰めていくと難しいなぁ…というお話。

あとどの作品かはまだ言えませんが、どっかのそんな感じの番組にそのうちお邪魔するんでいろいろチェックしてみてくださーいw

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