大きいやら小さいやら2012-02-09 Thu 00:04
私も男性の端くれ…口で言ってるだけじゃないんだよ!!
というわけで今日はおっぱいの話です。 当ブログにおいて様々なおっぱいに対する発言をして参りましたが、それはあくまで発言。 それ以上でも以下でもなく、ただ単に『語る』という領域を出ません。 が。 男の子というものはもっと複雑に…いや簡単に出来ているのです。 好きなものは語りたい…がそれよりも本当は見たい、触れてみたい、手に入れたい…! 『語る』などという行為よりも!そう!もっとシンプルに!! …といったところでおっぱいなんてそう簡単に手に入るもんではありません。 そこで代用品…インターネッツにて画像を見たりすることもあるわけですがw 先日あることに気づいたんですよね……画像で見る際には大きいおっぱいを求める傾向がある、と。 あんだけ「大きさなんて関係ない」とか「すべてはカタチだ、美乳こそ至高」などと言っておきながら…なんたること!! …まぁ「大きさは関係ない」派ではあるので、大きいのも小さいのも平等に愛するわけで、別に大きいの見て悪いこともないんですがw なんとなーく、『偏り』がある気がするんですよね、最近。 でも別に気持ちが変わったわけでもなんでもなく。 未だにおっぱいは大きさではなく美しさだと思ってますし、大きけりゃいいのかというとそんなわけでもなく。 なんとなくの、今の傾向なのです。 画像…つまり「見るだけだと、巨乳の方がいい」ということになるわけでしょ? 世間一般の巨乳信仰みたいなモノに通ずる感覚なのかなーなんて思ったんですが、そこからさらに『なぜ世間の男性は巨乳好きが多いのか』ということが気になり出しました。 そこで一考。 『男の、巨乳を求める思考を探ってみよう』w …ってのを男の僕がいうのもおかしな話なんですがw まず一旦自分の話に立ち戻ります。 画像で見る場合はつまり静止画なわけじゃないですか。 それはそれ以上でも以下でもなく、ただそこに『在る』だけの存在なわけです。 対して直接見る場合。 触るには及ばなくともそこには弾力であるとか質感であるとか、目で見ても存在感の違いみたいなものが見て取れます。 画像のときにはわからない、そこに在るだけではないまた別の情報が得られるわけです。 つまり。 画像のみでは得られない情報部分を、画像の場合では『大きさ』という情報で補完しているのではないか、と。 よりわかりやすいかたちで情報を取得しようという本能、とでもいいましょうか。 やはり視覚的に一番わかりやすいのは『そこに存在する』ということ。 大きければ大きいほど主張が増すわけで、わかりやすく「ああ、ナイスおっぱい」と思いやすくなるわけです。 これってでも別に画像や静止画にこだわる話でもなく、服の上から見たおっぱいでも同じだと思うんですよね。 衣類を着た布地越しでは、おっぱいの存在感というものは減少します。 触ることの出来ない男どもからすれば、大きさという情報がそのままおっぱいの存在を認識する重要なファクターになり、ひいては巨乳信仰につながっていくのではないかと。 裏を返せば、おっぱいが普通に触ることの出来る存在であれば、男の巨乳信仰は崩れるのではないかと!! 視覚という狭い情報に縛られているから、足りない何かを補うように視覚でわかりやすい『大きさ』に惹かれていくのではないかと!こう思うわけです!! ……お、なんかそれっぽくね?w たぶん画像で『おっぱいを求める』時は、求めているモノはそれこそおっぱい以上でも以下でもないわけで、より視覚的にわかりやすい『おっぱい』を求めていたんですね。 はーすっきりw 直接見られるなら…触れるなら、やっぱり大きさなんか関係ないよねw …まぁ結局のところ、触れないから大きさ求めちゃうんでしょうけどねーw どっかにいないかなぁ 「間島さんなら…いいですよ?(ぽっ)」 とか言ってくれる女の子w まぁそれはそれで触らないんだろうけどw 自分を大事に!!w スポンサーサイト
おっぱいとか。
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