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マジP!

間島淳司の日常をプロデュース!!

寄る年波を感じる

最近、歳を取ったことを感じる瞬間があります。
腰が痛いとかそういう物理的なことではなく……いわゆる『説教臭くなった』というやつでw

良い意味でも悪い意味でも、若いころというのは前しか見ていなくて、前しか見えていないもんです。
歳を重ねるということは、経験を重ね、前だけでなく全体が見えるようになっていくということでもあります。
経験に裏打ちされた自信があるから、若い人たちを見ていると「もっとこうすればいいのに」と口出ししたくなるってことなんでしょうけど。


なんつーかこう……一長一短だよなーと思うんですよねw


説教自体は悪くないと思うんですよ。
若い頃のことを考えると先輩からの言葉ってなんでも聞きたかったし、それがすごくためになったし。
ただだんだん大人になり、説教することに慣れて当たり前になってくると……どこかに『ズレ』が生じ始めます。
はじめは「もっとこうしたほうがいいよ」ときちんとアドバイスしていたはずなのに、いつしか「お前のこういうとこがダメだ」「お前はダメだ」と、ただの人間否定みたいになっていくというか。
そして次第にその波は『説教』から、相手がいないところで否定だけするただの『悪口』へと変わっていくのです……


元来人間って『認められたい』生き物だと思うんです。
頑張るのはあの人に認めてほしいから。
誰かに認めてほしいから、という意思がどこかにある気がします。
認めてもらえた時にすごい喜びを感じ、それがまた次頑張る原動力になる。

でも実は、他人を認めるってのはすごく大変なことでもあると思うんです。
自分と全く違う『答え』を見せられた時、それを認めるということは同時に『己を否定する』ことにも繋がる場合がある。
誰だって認められたい、ということは『認められる自分でありたい』わけで、自分で認められないような『自分』では誰かに認められるわけがない…だから他人を認められない。
結果、自分のことはは棚上げしたところに置いといて、他人だけを否定するようになる。

僕はそういうのが嫌いです。

説教ってのは声を荒げて怒るということではありません。
『教え、説く』と書くわけで、道を示してあげたりその人にはない考え方を教えてあげることだと思っています。
そこに『他人を否定する』などという要素はない、と。
「ここを、こう直した方がいい」という明確な答えがないままただぼんやりと「なんかダメだよね」というだけでは、漠然とした不安だけ与えてしまいかねない。
相手がそれをバネにできるタイプならそれでもいいかもしれませんが…理想はちゃんと参考例を与えてあげるべきかな、と。
それができないなら説教などするべきではない、と。



……思うんだけど、なーんかつい言っちゃってるときとかあるんですよねーw
否定するのは簡単で、だけどつまらないこと。
全てを内包できる大きな漢に、いつか……なれたらいいな、とは思いますけど……
理想の自分に近づくのはまだまだ先のことのようです。
人生って奥深い。


てかこの話自体がすでに説教臭いという、ねw
本末転倒w
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