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ゆとり世代の弊害

なにやら今年の受験生は『ゆとり世代』最後の代だそうで。

なにかと悪い意味で使われがちなこの言葉ですが、本来の意味合いとしては『それまでの詰め込み教育からゆとり教育に切り替えた』世代という意味。
詰め込み教育における問題点『テストが終わるとすぐ忘れる』『問題の意味などを考えず、想像力が欠如する』など…要は分量が多すぎて丸暗記になることで出る弊害なわけですが、それを解消するために授業時間、学習内容を2〜3割ほど減らし先ほどの問題点を解消、『生きる力』『考える力』を重視することを目的とした学習指導要領。
それが『ゆとり教育』。
詰め込みまくりで脳みそギュウギュウにならずに、ゆとりを持ってきちんと向きあいましょう、ということなので決して悪い意味ではないんですが…なんなんでしょうねこの意味の違いw


良い面でいえばゆとり世代は『考える力』が養われているので自分で自分の人生を決められる力がある、ということだと思います。
いわゆる勉強が苦手であると思うならスポーツに打ち込むも良し、勉強が得意ならどのジャンルに興味があって進むことにするのかなど、ゆとりがあるからこそ選べるんだと。
実際昨今大活躍しているスポーツ選手なんかはゆとり教育世代。
すごくたくさんの優秀なスポーツ選手が排出されているなぁ、という印象。

逆に悪い点でいえば授業時間や学習内容が2〜3割減り、足りない部分を補うためにはそれぞれの家庭が負担することになります。
塾などでそれを補填することになるわけですが、そうなると各家庭の『経済力』による学習格差が生まれる、という、若干理不尽にも思えることが起こります。
なんでも『塾に通わないと東大には絶対浮かれない』みたいな言葉もあるんだとか…学校で教えていればそうはならなかったんじゃないか、という問題。
まぁ東大云々に関しては「別にゆとりじゃなくても一緒だろ」と思うのでそんな問題でもない気はしますがw
確かに塾に通えないと高い学力が得られない、というのは問題な気もします。


とここまでは学習面におけるゆとり世代のお話。
世間で「これだからゆとりは…」とか言われることとこの問題は関係ない気がしています。

会社に入ってもすぐ辞めてしまうとか、根性がないとかそういう点がゆとり世代の問題点として挙げられがちですが、そんなん個々人の問題であって世代で括るのはかわいそうだろうと。
アレです、地域で有名な不良が一人でもいると『あの学校に通ってる子と遊んじゃいけません!』みたいなことを親に言われるみたいなw
少しでもそうと取られることをいえば「出たゆとり!」とか言われて、とんだとばっちりだよなーと思うのです。

とはいいつつも確かに最近の若い人たちが根性ないとかいうのは思ったりもするんですw
あとワガママな人が多いなーと。
全部勝手な印象ですし『すべての人がそうではない』というのもわかってますが、体感としてそういう人が多い気がするのも事実。
これってなんでだろう???と思って考えてみたんですが…コレってゆとりだからじゃなくて頑張らなくても時代になったからなんじゃないかなーって。
都市整備が進んだりインターネットが普及したりだれでも携帯電話持ってたり、コミュニケーションが取りやすくなって『生きやすい時代になったなぁ…』と思うことがしばしばあります。
他者とコミュニケーションを取るのに苦労しなくて良くなり、遊びに行くのも電車で苦労せず、みたいな。
家庭でも親が怒らなくなり、むしろその分の矛先は学校に。
モンスターペアレントに怯える学校側…教師はかつてのように子どもを叱ることが出来なくなりました。
つまり、今の子たちの周りには「叱ってくれる大人」がいないため、叱られた経験がないのです。

頑張らなくても生きて行けて、誰も叱ってくれないとなると…もう自分で気付くしか正しい道を探る方法がありませんよね。
大人は教えてくれないから自分たちで進もうとするけど、頑張り方もわからないから前には進めない。
闇雲に動いてたまに心ある大人に叱られたとしても、叱られた経験がないから『怒られた』と勘違いして頑張れなくなっちゃう。
ある意味かわいそうだなぁ、とも思いますが、人の話に聞く耳を持たないなら道は自分で探すしかなくなり、話は堂々巡り。
本来こういう時に心に『ゆとり』を持つ人間でいられるようにするのが、ゆとり教育の真の目的だったはずで…でもそこは周りの大人達が取り上げちゃったんですよねー。


結果的にゆとり教育は撤廃され『脱ゆとり世代』なんて言われてますが、なんつーかこう…そういうことじゃない感がw

『心にゆとりを持つために頑張れる大人』になりたいもんです。
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