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マジP!

間島淳司の日常をプロデュース!!

れっつ・クリエイティブ

皆さんは『当たり前』ってどう思います?

……別に悪いことじゃないですよねw
人と同じであろうとし、他人を慮り、足並みそろえて進むこと。
世間の当たり前をきちんと把握することが社会強調の第一歩とも言えるかもしれませんし、出来ないとそれはそれで困るものでもあります。

ではその『世間の当たり前』が『自分の当たり前』と違ったら…?

多くの人はそれを直そうとしたり、恥ずかしいと思ったり、隠そうとしたりすると思います。
周りに違うことをやってる人がいたら「ちょ!なんしてんのwww」ともしかしたら正すかもしれません。
これは…果たしていいことなんでしょうか?
あまりに反社会的であったりモラルに反していたり、非人道的であるならばそれは社会道徳的に正さねばならないかもしれませんが、多少の事だった場合…もしかしたらそれは「可能性の芽を摘んでる」ことにはならないでしょうか?

小さな子供が幼稚園で絵を描き、太陽を緑に、地面を紫に塗ったとします。
…先生はいろんなことを考えるでしょうねw
色覚に問題がないか。
子どもの感性をどう捉えるか。
将来生きる社会というものをどう伝えるか。
様々なことを考え、どれがその子にとってベストなのか…その選択をせねばなりません。

世界的な発明をした偉人なんかは、子供の頃はすごく変わっていた、なんて話をよく耳にします。
それは本人の感性もさることながら周りの大人達の理解があったから、そういう育ち方が出来た…環境がきちんと転載を育んだのだとも思うのです。
緑の太陽を誰も「変だ」と言わず、「素晴らしい」と評価する…そういう選択をした結果が、未来の偉大な発明や作品を作ったのではないかと。


話は変わってラジオなんかで人と喋ってて僕がいつも思うのは、まずは『リスナーの代表である』こと。
話を進め、相方と会話をし、普通とは違う部分を「それ普通と違うよね?」と確認し、より多くの人に『ココ面白いことですよ〜』と伝えるためにツッコミを入れたり受け流したり聞いたりする。
僕がツッコむことで「そうそうw」とか「マジかwww」とか同意や強調、意外みたいなものを感じていただければいいなと。
ふんわりいえばそんなことがラジオでの僕の仕事なのかな、と思っています。

それと同時に気をつけているのは『頭ごなしに否定しない』ということでもあったりして。
仕事の特性上なのか僕の人徳wなのか、ラジオの相方になる人は比較的奇想天外な発想の方が多い印象がありまして…ぶっ飛んだことを言われた時にツッコミを入れるにしても「なんでやねん!!」で潰してしまうにはもったいないものが多いと感じるのです。
そういう感じがなんか、太陽を緑に塗る子どもをどうすべきか悩む先生や、転載を育んだ周りの環境と近いのかなーと思いまして。


ちょっと前にも書きましたけど、僕らの仕事は普通じゃない人が多い世界。
…って書いたら「私の仕事も普通じゃない人が多いです!」「私も普通じゃないです!!」となぜか普通じゃない自慢が始まって『おいおい…世界どうした!?』とか思ったんですがw

ともあれw

普通じゃない人々とお話をしていると、同じような出来事があった時に自分の中にはない『普通じゃない選択肢』を選んでいることに気が付きます。
でもその選択肢は自分の中にないだけで、相手にとっては『当たり前の選択肢』なのかもしれません。
それを捕まえて「普通じゃない」というよりも「面白い」と思った方が、人生得な気がするのです。
食べ物で言えば、食わず嫌いせずに一度食べてみて、マズかったら「これはマズい」と言えばいいじゃん、みたいな?w
食べずに『マズそう』は失礼だけど、食べて『マズい』は合わないってことなんだからフィーリングの問題。
そうやって選択肢を広げていった方が、素晴らしい人間になれるんじゃないかと…ふと思いました。


現代は情報化が進み、何が世間で支持されてて何が普通なのかが容易にわかるし、TwitterやFacebookで投げればたくさんの人がその情報の吟味をしてくれます。
そうやって世の中が、情報化とともに『普通化』が進んでるんじゃないか…そんなことをぼんやり考えました。
モノや情報伝達手段が少ない頃の方が、もしかしたら人間はクリエイティブだったのかもしれませんね。



と、普通に社会を生きる分にはまったく必要のない考えを取り留めもなくしておりましたとさw
皆さんの普通が、願わくば楽しい普通でありますように。
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