楽しいことしかしたくない2015-03-02 Mon 00:07
つまんない人間になりたくないなー、っていつも思ってるんですよ。
別におもしろいこと言い続けろとかボケ倒せとかそういうことじゃなく、人間としておもしろいかつまんないかってこと。 わかりやすくいえば… 「ねぇねぇ今度遊ぼうよ〜」 「誰来るの?」 「◯◯と〜、◯◯と〜、あと間島」 「え、間島さん来るの!?行く行く!」 みたいな人になりたいと。 …このやりとりは僕のいないとこで進行するやりとりなんで僕が聞くことは一生ありえないやりとりですがw 見える範囲なら僕を見つけてテンション上がってくれる人が増えるといいな、みたいな。 僕自身飲み会が多い方ですが、どうせ飲むなら会って喋って楽しい人と飲みたいですし。 つまんないなら美人でエロいニーハイお姉さんと飲みたいです、いるだけで眼福だしw もちろん僕は美人でエロいニーハイお姉さんにはなれないので、人としておもしろい人間を目指すしかないわけですが…この場合のおもしろさってある意味”居心地のよさ”なのかなって思うんです。 こいつといてつまんなかったことがない、もちろんそうじゃないこともあるけど最終的にはトータルでプラスだなー、みたいな。 会った時のことを思い返した時に笑ってた記憶の方がたくさん思い出される人……そんな感じの人間像。 そういう人になりたいからこそ、そういう人ってどういう人なのかなーって考えたんですけど……やっぱりマイナスな発言をしないってことなんじゃないかなーって思うんですよね。 仕事でもプライベートでもそうなんですけど、僕は何かを評価するときに「どこが好きか」「どこがおもしろいか」で物事を考えるようにしています。 どんな物事にだってどんな人物にだって気に入るところもあれば気に入らないところもある、それは人間なんだから当たり前。 でもそれをどこかに向けて発信するのは違うかな、と思うのです。 人間ってどこかこう…人の不幸とか悪口で盛り上がる部分ってあると思うんですよ、好きが一致するよりキライが一致する方が仲良くなりやすい、みたいな話も聞いたことあるし。 キライとかつまらないとか個人の感想なんでそれ自体は良いと思うし、共有することで仲が深まるのは良いことだとも思いますけど、一方で「発展性がないなぁ」と思ってしまうのです。 好きってことは『欲』だと思うんです。 大好きなもののことって、どんどん知りたくなりません? 普段はあんま考えてやらないでしょうけど言葉にするなら「どこが」とか「なんで」好きなのかを知ることで、もっと好きになれたり良いところを見つけられたりするから。 自分の内側にないものを取り込む行為といいますか、好きってことは『外部との接触を持つ』ことだと思います。 逆にキライってことは『閉じる』ことだと思うんですよね。 自分の価値観を大事にしてそれを守ろうと殻に閉じこもる。 内側に内側に向いていってどんどん気持ちにカギをかけて、最後にはどこにも出られなくなるというか。 自分の持っているセカイが大正解なものならばそれでもいいですけど、世界は僕が思ってるより広くて未知のステキが転がってると思うので、ステキを取りこぼしたくないのです。 昨今は物事に対して否定から入る人が増えている気がします。 ネットの影響が多い…ような気がするのはそういう情報が溢れてるからなのかもしれませんが、ツイッターなんかでも『好き』より『キライ』の情報が多く出回ってる気がするし、好きを語るのにも否定的な表現が増えている気がします。 初めて見た時びっくりしましたもんね…好きなはずのものに対しての表現が『罪深い』とか言ってるんですもんw 「◯◯かわいい罪深い」とか「罪深いイケメン」とか「存在自体が罪」とか…もっと言い方あるだろとw なんでしょ、普通に「好き!」って言うのがカッコ悪いとか感じるんですかね? すっごくステキなことだと思いますけどねー、まっすぐな気持ちって。 あとツラいことがあったときに「死にたい」って言う人増えてません? 「明日テストだ死にたい」とか「休み終わっちゃう死にたい」とか果ては「雨降ってる死にたい」とかまでw ハメハメハ大王でも『雨の降る日はお休み』程度だというのにそこで死を選ぶとか…それこそ罪深いw こういうのって僕は良くない傾向だなーと思うのです。 僕が言葉を扱う職業だからかもしれませんが、言葉にはそれ自体に強い力があると思います。 いわゆるコトダマってヤツですね。 思ったことを音にして外に出してしまうと、それはホントになってしまうというか…強い力を持って自分の心を支配してしまうというか。 冗談で、ネタとして言ってたのにいつの間にかホントになっちゃうことってあると思うんですよねー、僕だって始めは「ちょっと好きかな」くらいでしたけど言い続けたらガチで好きになりましたもん、ニーハイのことw 僕の場合はポジティブ(?)な方向性の言霊なので良いですけど、コレが先述のようなマイナスな言葉にもあるとしたら…否、マイナスな言葉の方が心を支配する力は強いと思います。 草食系とか無気力とかいわれる人が増えているのは、こういう言霊の力もあるんじゃないかと思っています。 またおもしろいもんで、人間って否定されるのイヤじゃないですか?その考えが合っていても間違っていても。 親御さんが子供の将来の職業についていろいろ口出すのも現実を知ってるからこその心配があるからですけど、夢しか見てない子供はすごく反発しますよね。 この場合は将来が心配だから出てくる『いい否定』ですけど、それでもイヤだと感じるんだから心配もないただの否定はもうそれこそ猛反発ですよね、気持ち的にw いい否定もあるので一概に”否定を否定”するのも難しいですが、上手に良い否定を取り込んで成長できたら…と思います。 ただ間違える場合もあると思うので、選択する責任は常に自分にあるんだと思っといた方がいいのかもしれませんね。 いろいろ言いましたが要は気持ちは掛け算じゃなくて足し算なのかな、って思うんです。 プラスにプラスを足せばプラスだし、マイナスにマイナスを足したらもちろんマイナス。 でも自分の中に沢山のプラスがあれば、多少のマイナスが入ってきてもトータルはプラスになります。 …掛け算だとすげープラスがあってもマイナスかけたら答えはマイナスになっちゃいますからねw どんなマイナスにだって耐えられるくらいのプラスを、心の中に貯めこんで生きたい。 そのためにもっと…世の中を面白がりたいと思っていますw スポンサーサイト
考察
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