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間島淳司の日常をプロデュース!!

8年という重み

「0時近辺に更新する」というウチのブログの特性上、ブログの日付上は3月12日になったタイミングで書こうかと思っていたんですが、日付上の3月11日のブログがぜんぜん関係ないテレビの感想だった為か「なんで震災のことを記事にしないんですか!」というどえらい角度からのクレームを頂きました。
すげぇなその感性w

なのでホントはストレートに東日本大震災から8年、ということについて書こうと思っていたのですが、その前に少しだけ僕の考え方の話を。


普段から「ちょびっとふざけてずーっと生きていきたい」という考えで生きていたり、あんまマジメなこと言うキャラじゃないとこでやってるもんで、こういうマジメにならざるを得ない話は基本的にしたくない部分はあるんですが。
Twitterの方でも書きましたが、大きな被害を受けた当事者でもない僕がとやかく言うのは失礼なんじゃないか、という思いがあります。
本当の辛さもわからないのにうわべだけの言葉をかけることになってしまうんじゃないかと。
日常的に被災された方のことを考えてるわけでもなく、ニュースでやってるのを見て思い出して「頑張ってください」とかいう言葉のなんと軽いことか。
そんな言葉を吐くらいなら、今も大変な思いをしてらっしゃる方のためになにか自分ができることを考えて、なにも言わずに実行する方が何倍もいいと思うのです。
我々はエンタメの世界に身を置く立場。ならば大変な中でも僕らがやったことで笑顔になってもらえたり、心が動くないかを提供することが僕にできることなのではないかと。

また僕はすべてを言葉にすることはあまり格好のよろしいことではないなーと感じます。
良いことになればなるほどそれはより顕著に感じ、「私はこんな素敵なことを考える素敵な人間ですよ」といういい人アピールに見えてしまうというか。
わかりやすく言葉にするのではなく、紡いだ言葉のその先にどんな思いがあったのかを感じるのが美しい世界だと感じます。
だから当時も不謹慎だと言われるの覚悟でカップ数調査とかやりましたし。…このカップ数調査という選択肢が、果たして美しいかはまた別のお話ですがw

なので基本的にはこういう時にもあまり触れるのは好ましくないんですが、震災に関しては今も大変な思いをされている方も多数いらっしゃるでしょうし、この3.11という当日を迎えるとどうしても思い出してしまう、という方もいらっしゃるでしょうから少しでも心の助けになれば、という思いで、少しだけ触れるようにしています。
触れることで救われる心もあると思うので。

なので別に書かないからといって考えてないわけではないし、書いたことしか考えてないわけでもないというか。
そういったことも理解した上でブログやSNS、はてはラジオなんかも楽しんでいただけると幸いです。



さ、話を本題に戻しまして。


もう8年、なのかまだ8年、なのか、人によって感じることはあると思いますが、個人的には考えるポイントによってどちらも感じるなーと思います。

当時起きた瞬間のことは今でも鮮明に覚えています。
仕事に行こうと玄関で靴紐を結んでいると揺れを感じ始め、そのまま外出。
「ずいぶん長いこと揺れてるな」と思いつつも仕事があるので駅に向かうと電車は止まっている状態。
東京はたしか震度4くらいだった気がしますが、もう外出して情報を得られない状態ではそこまでの事態だとは感じておらず「10分とかしたら復旧すんだろ」くらいの気持ちで、スタジオの最寄りで食べようと思っていた昼飯を自宅の最寄り駅で済ませて時間を潰したんですが、食べ終わっても電車は動かず。
この時点でもまだ事態を把握していないので「やべぇ、遅刻すっぞ」とだんだんと焦り始め、少し離れた大きな駅まで歩いてみて、それでもまだ動かないようならタクシー拾って行くしかねぇ、と思いつつ、歩きながら事務所に電話をかけるもつながるわけもなく。
仕事の共演者からは「まじー大丈夫?私はタクシーで現場向かってるけど」的なメールが来たため「やっぱ行くしかねぇぇぇぇぇぇ!!!!!」となり、最終的には自宅に戻って自転車で、1時間遅れでスタジオに行ったのを覚えています。
…てかなんだかんだで殆どの役者がスタジオにやってきてしまったため、震災当日にアフレコしたというトンデモエピソードになりましたがw
スタジオで見たニュースで「東京タワーのてっぺんが曲がった」って言ってて、たぶんこのときに事態の深刻さに気づいたように思います。
そしてアフレコが終わっても電車は動かず、帰れない面々はスタジオを開放してくださるということでその場に残る流れに。
僕は自転車があったんで帰れたんですが、帰れるというのに「スタジオさんがご飯を用意してくださったので…」と言われ僕もみんなとカレーを食べ、食べ終わったところで「じゃ、お疲れ様でした」と帰っていったのを覚えていますw
すげー居づらかったぞ!この後帰るのにメシ食べるの!w

というような当時の記憶を考えると、あまりに鮮明なだけにそう遠くない記憶のように感じ「もう8年」という感じがします。

そしてテレビで今の被災地の様子を見ると、まだ当時の爪痕がありありと残る現地の様子に「まだ8年」と感じます。
まぁまだ8年というよりは「8年経ってもまだ」という表現のほうが近いかもしれませんが。

あの頃あまりの被害に世間が楽しいことをしてはいけない空気感というか、お通夜みたいな空気がずーっと続いてて「これじゃ余計に参っちゃう」と思うけど、じゃあ楽しいことをやってるぞ!ということを発信しようもんなら「不謹慎だ!」と言われるのも目に見えてたので非常に選択に苦しみましたが、僕らの周りでは不謹慎と言われようと楽しいことを発信していこう、というムードでした。
だから震災の翌日から「経済を回すぞ」つってキヨやみんなと飲みに行ったりしたし、先述の通りブログでもカップ数調査を実施したりもしました。
案の定手厳しい意見もいただきましたが、当時ブログのコメントに「今自分の周りはとんでもない光景になってしまったけど、間島さんのブログがいつもどおりだから「どこかに日常はあるんだ」という希望が持てました」と被災地にいらっしゃる方からおっしゃっていただけたのは、僕にとっても「選択は間違ってなかったんだ」という勇気と希望をくれました。
ある意味では逆に救ってもらったのは僕だったのかもしれませんね。


8年が経ち、平成も終わる今年。

ヒドい目に遭わなかった我々は、すぐに記憶から追い出してしまったり目を向けなくなって「もう復興したっしょ」みたいな気持ちになりがちですが、ニュースなどを見て「そんなことはないんだ」「まだ復興の途中なんだ」と、きちんと思い出す必要があると感じます。
かわいそうだとかそういうことじゃなく、手を差し伸べて一緒に前に進むために。
災害はたくさんのものを奪っていくけど、失うだけじゃなく災害から学んで手に入れることを忘れてはならないと思います。





……良いこと言ったんじゃない?w(マジメな空気に耐えられなかったw)
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